今日は、『京セラフィロソフィ』の第一章「素晴らしい人生を送るために」の冒頭、「心を高める」という項目を再読した。

稲盛和夫氏は、人生の目的を「心を高める – 心の純化・浄化に努め、心を立派にしていくこと」と断言している。経営の中心に「心」を置き、盛和塾のテーマもまた「心を高める、経営を伸ばす」であったことは周知の事実だ。

しかし、正直に記しておくならば、今の私自身の人生の目的がこれと完全に合致しているかといえば、即答はできなかった。「人生の目的は人それぞれでよいのではないか」という一般的な逃げ道が頭をよぎったからだ。この逡巡こそが、未だ私の人間としての器、あるいは成長が不足している証左なのかもしれない。

2. 違和感・発見(Insight)

「心を高める」という抽象的な概念をどう日常に落とし込むか。稲盛氏はこれを「煩悩(エゴ)を抑え、真我(本来の心)を現すこと」と説く。

ここで、私が現在学んでいる東洋思想の師・田口氏の言葉とリンクした。人間性を高めるための具体的な修行として挙げられる三つの要素、「立腰(りつよう)」「克己(こっき)」「慎独(しんどく)」である。

特に今の私に突き刺さったのは、2つ目の「克己(己に打ち勝つ)」に対する独自の解釈だ。

私はこれを「自分と交渉しないこと」と定義し直した。

例えば、冬の朝。氷のように冷たい水で顔を洗おうとする瞬間、「冷たいからお湯にしようか」「あとで洗おうか」と一瞬の迷いが生じる。この迷いこそが「自分との交渉」だ。交渉が始まれば、人間は弱い方へと流れる。

趣味の登山も同様だ。息が上がり、足が重くなった時、「ここで休もうか」「もう引き返そうか」という甘い囁きが聞こえる。これもまた交渉である。

克己とは、決めたことに対して一切の交渉を挟まず、機械的に、しかし意志を持って実行することだ。冷たい水に手を伸ばす、山頂へ向けてただ足を出す。そこに議論の余地を作らないことこそが、己に勝つということなのだと気づかされた。

3. 教訓(Lesson)

3つ目の「慎独(一人の時を慎む)」と合わせると、私のソロ登山は単なる趣味ではなく、精神の修練場であることが明確になる。誰も見ていない山中で、誰に強制されるわけでもなく、自分との交渉を断ち切って歩を進める。このプロセスは、仕事における「誰も見ていない時の振る舞い」と完全に同義だ。

これは精神論だけでなく、脳科学でいう「脳の可塑性(かそせい)」でも説明がつく。

最初は意識的な「修行」であっても、自分と交渉せずに利他的な行動や正しい姿勢(立腰)を繰り返せば、脳の回路が書き換わる。やがてそれが「第二の本性」となり、無意識レベルで正しい行動が取れるようになる。

つまり、心を高めるとは、以下のようなメカニズムで定着する。

「心の筋トレ」の法則

煩悩(サボりたい心)は、交渉のテーブルに着いた瞬間に肥大化する。

交渉を拒否し、行動を反復することで、脳の回路を物理的に書き換えること。

登山で頂上を目指す足取りは、そのまま経営や仕事において困難を乗り越える足取りとなる。日常の些細な「冷たい水」と向き合えるかどうかが、人生の目的である「心の純化」に直結しているのだ。

4. 指針(Next Action)

稲盛氏の掲げる崇高な人生の目的に、今の自分がまだ追いついていないとしても、アプローチの方法は理解できた。明日からは以下の誓いを守る。

  • 「交渉」の即時遮断:

    朝起きる時、困難なタスクに着手する時、脳内で「どうしようか」という会議を始めない。決めたことは、瞬時に着手する。

  • 物理的な「立腰」:

    デスクワーク中、姿勢が崩れることは心の崩れと直結すると心得る。物理的に腰を立て、精神の背骨を通す。

  • 孤独の活用:

    一人の時間こそが、真我を磨く本番であると捉え直す。誰も見ていない時の行動こそ、未来の自分が見ている。

自分という人間に甘えを許さず、淡々と、しかし確実に「第2の本性」を上書きしていく。

投稿者 naokish

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