京セラフィロソフィの「きれいな心で願望を描く」という項目を読み、内省した。この章では、因果応報の理が説かれている。良きことを思えば良き結果が生まれるという法則だ。しかし、その結果が出るまでには時間差があり、時には30年、あるいは現世を超えて「あの世」まで含めた長いスパンで見る必要があるという。
また、盛和塾の機関誌において、稲盛和夫氏が塾生からの「利他に努めても会社が大きくならない」という問いに対し、「他人のことばかり考えていては会社は大きくならない。誰にも負けない努力が必要だ」と説いている箇所を再確認した。ここでは「利他的な欲望」と「利己的な欲望」という二つの側面が語られている。
さらに、以前師事したマイケル・ガーバー氏の「1万倍の法則」と「インパーソナルドリーム(無私の夢)」という概念を、このフィロソフィと結びつけて考察した。
【違和感・発見】矛盾の解消:利他と拡大は一つの真理である
この章を読み進める中で、一つの大きな気づきがあった。それは、稲盛氏の教えが常に「対機説法」であるということだ。相手の欠けている部分を見極め、利心が強い者には利他を説き、利他心はあっても実行力が伴わない者には「誰にも負けない努力」を説く。一見すると矛盾するように聞こえるが、実は「利他」と「努力(成長)」は表裏一体であり、常に高い次元での両立を求められているのだと痛感した。
特に、マイケル・ガーバー氏の「1万倍の法則」との共通点には驚かされた。ガーバー氏が言う「なぜ1万倍に成長させないのか」という問いは、拡大欲求ではなく、「本当にその商品でお客様が喜んでいるなら、より多くの人に届けるのが義務ではないか」という、利他心に基づいた問いである。
稲盛氏が説く「従業員の幸福のために会社を潰してはならない(だから利益を出し、内部留保を厚くする)」という視点は、極めて日本的でありながら、ガーバー氏の「インパーソナルドリーム」を補完する血の通った論理であると感じた。
【教訓】「1万倍の鏡」で自分の願望を照らす
「利他」という言葉は、時に現状に甘んじるための免罪符になりかねない。「自分は欲がないから、今の規模でいい」というのは、実は利他ではなく、努力から逃げるための利己的な自己正当化ではないか。
これを**「1万倍の鏡」**と名付けたい。
自分の提供している価値が、もし本当に素晴らしいものならば、それを1万倍に広めないことは「不親切」であり「怠慢」である。規模の拡大は、利他を追求した結果として必然的に現れる「公の器」としての責任なのだ。
また、因果応報のタイムラグについても覚悟が必要だ。短期間で結果が出ないからといって、その思いが間違っているとは限らない。30年、あるいはそれ以上のスパンで帳尻が合うという宇宙の法則を信じ、長期的な視座を持つことが心の安定に繋がる。
【指針】「誰にも負けない努力」を土台とした利他の追求
明日から、自身の願望を点検する。その願望は「自分のための1倍」か、それとも「世のための1万倍」か。
まずは、目の前の仕事における努力の基準を引き上げる。利他を盾に、成長への執着(=会社を盤石にし、社員を守る責任)を忘れてはいけない。誰にも負けない努力を前提とした上で、その中心に「きれいな心」を据え直す。この両輪が揃って初めて、フィロソフィが肉体化されるのだ。
