本日、フィロソフィの読み合わせを行い、「素直な心を持つ」というテーマに触れた。稲盛和夫氏は、素直な心とは自分の至らなさを認め、そこから努力する姿勢であり、誰にも負けない努力の源泉であると説いている。
松下幸之助氏もまた、素直さを極めて重視していたが、彼の定義は「物事をあるがままに見る」というものであった。従順に右へ倣えをするのではなく、自分のエゴや誇り、感情といったフィルターを外し、状況を客観的に把握すること。晩年の松下氏でさえ「自分はまだ素直さの初段だ」と語ったほど、その道は険しい。
この概念は、私が師事したマイケル・ガーバー氏の教えともリンクする。彼は「素直」という言葉こそ使わなかったが、鈴木俊隆師の『Zen Mind, Beginner’s Mind(禅マインド ビギナーズ・マインド)』を引用し、「初心(Beginner’s Mind)」や「真っ白な紙(White Paper)」で取り組む重要性を説いていた。
私自身の「素直さ」の欠落
改めて「素直さ(初心)」がビジネスのシステム化において二つの側面で不可欠であることに気づかされた。
一つは、「完成なき改善」への姿勢だ。
ディズニーランドのような完成された世界観を持つ組織でさえ、日々仕組みを改善し続けている。いわんや中小企業においておや。「これでいい」と思った瞬間に成長は止まる。初心を忘れた職人は、自分の過去のやり方に固執し、改善のサイクルを自ら止めてしまうのだ。
もう一つは、「採用」における絶対条件としての素直さだ。
ガーバー氏は、唯一共通する採用条件として「初心で取り組める人」を挙げた。仕組み(システム)に依存して回る会社において、独自のやり方に固執する経験者は、時としてゲームのルールを破壊するノイズになる。「前の会社ではこうだった」という手垢のついた地図ではなく、我々の用意した真っ白な地図を広げられる人材でなければ、組織は属人化の泥沼に舞い戻ってしまう。
そして何より、今日最も痛烈に感じたのは、私自身の「素直さ」の欠落についてだ。
20代の頃、私は松下幸之助氏の本を読み、素直さを求めていたはずだった。しかし、ガーバー氏と出会い、彼から圧倒的なノウハウを短期間で吸収したことが、皮肉にも私の「初心」を奪った。
「自分は知っている」「正解を持っている」という驕りが生まれ、そこから約10年間、私は素直さを欠いた状態で突き進んでしまったのだ。その結果、本来出せたはずの成果が出せなかったのではないか。知識が邪魔をして、目の前の事実を「あるがまま」に見られなくなっていたのだと痛感した。
頑固さは、目標の低さと相関する。
私が陥った「知識による驕り」の罠から抜け出すための鍵は、実はシンプルだ。それは「目標の高さ」にある。
『頑固さは、目標の低さと相関する。』
今の自分の能力で手が届く範囲の目標しか持っていなければ、人は過去の経験則だけで処理しようとする。そこには他人の意見を聞く必要性も、新しいことを学ぶ必然性も生まれない。だから頑固になれるのだ。
一方で、現状の自分では到底到達できないような「高い目標」を掲げた時、人は初めて心底「素直」にならざるを得ない。なぜなら、自分の知っているやり方では通用しないことが明白だからだ。エベレストに登ろうとする素人が、ガイドの言葉を一言一句聞き漏らすまいとするのと同じ理屈だ。
素直さとは、精神修養だけで得られるものではない。自分の器を超えた目標設定によって、構造的に引き出される機能なのだ。
知識の鎧を脱ぎ、再び「真っ白な紙」に戻る
私は今一度、自分の掲げている目標を見つめ直す。
もし、今の自分が「他人の意見を聞かなくてもなんとかなる」と感じているならば、それは目標が低すぎる証拠だ。
明日からは、以下の問いを毎朝自分に投げかける。
「今の目標は、私が『教えてください』と頭を下げざるを得ないほど高いか?」
知識の鎧を脱ぎ、再び「真っ白な紙」に戻ること。
過去の自分ではなく、未来の理想に平伏すこと。
それが、失われた10年を取り戻し、さらなる高みへ登るための唯一のルートである。
