今日のフィロソフィのテーマは「地味な努力を重ねる」だった。
偉大な成果とは、一足飛びに手に入るものではない。一歩一歩の積み重ね、一つ一つの石積みの結果である。最初はたった一人で石を積む。孤独な作業だ。だが、それを楽しそうに、創意工夫(創意工夫)を凝らしながら続けていると、やがて「私も手伝いたい」という共感者が現れる。一人が二人、三人、百人と増え、やがて巨大な城壁のような会社ができあがる。
松下幸之助氏も「耳学問」の達人だったという。他人の話を謙虚に聞き、自社の経営に取り入れる。そうした毎日の微差の積み重ね、創意工夫の連続こそが、非凡な結果を生む唯一の道であると説かれている。
石を積む背中は「楽しそう」でなければならない
この項目を読み、過去の自分を省みた。
正直に告白すれば、私はかつて「地味な努力」が大の苦手だった。20代から30代前半にかけて、私はふらふらと様々なことに手を出しては辞め、定まらない日々を送っていた。それは単に根気の問題ではなく、「人生の目的」という杭が打たれていなかったからだ。
今は違う。人生と事業の目的が明確になった今、地味な作業は苦行ではなく、目的に向かうための確かな足取りとなった。
しかし、ここでさらに重要な気づきを得た。
ただ黙々と、苦虫を噛み潰したような顔で石を積んでいてはダメだということだ。
「人より多く石を積む」という個人の努力には限界がある。事業を大きくするには、周囲を巻き込まなければならない。
人が集まってくるのは、石を積んでいる私が「楽しそう」に見えるときであり、その積み上げた石の先に「壮大なビジョン」が見えるときだけだ。
「この人と一緒に石を積めば、何かすごい景色が見られるかもしれない」
「自分にとってもプラスになる」
そう思わせる引力がなければ、組織は拡大しない。ただの苦役の共有ではなく、未来への希望の共有が必要なのだ。
改善の「量」が、改革という「質」へ転化する
もう一つ、脳裏に浮かんだのはトヨタ自動車の言葉だ。「改善の積み重ねが、やがて改革につながる」。
そしてマイケル・ガーバーの「あらゆる仕組みはまだ改善の途中である」という言葉ともリンクする。
これは私の「仕組み経営」の進化そのものだ。
これまで私は、カリキュラムを作り、テキストを推敲し、動画を撮影するという地道な「改善」を積み重ねてきた。一つひとつのコンテンツを磨き上げる作業だ。
しかし、その蓄積があったからこそ、AI時代の到来とともに「一つひとつ直すより、全てAIに学習させた方が早いのではないか?」という発想の飛躍に至った。
これは単なる思いつきではない。積み上げてきた膨大なナレッジ(改善の歴史)と、「中小企業が使えるターンキー(即座に使える)の経営システムを作る」という理想像があったからこそ起きた「改革(イノベーション)」だ。
改善という量の蓄積が、ある臨界点を超えたとき、改革という質の変化を起こす。
逆に言えば、理想像なき改善は単なる修正であり、改善なき改革はただの砂上の楼閣に過ぎない。
「理想という設計図がなければ、積み上げた石は崩れる」
AIによる自動化も、私が「こうありたい」という理想を描き、そこに向かって泥臭く手を動かし続けてきたからこそ、実現可能な手段として目の前に現れたのだ。
ビジョンという「旗」を高く掲げ続ける
明日からの行動指針は明確だ。
私は地道な努力を続ける。だが、それは独りよがりの作業ではない。
周囲が「参加したい」と思えるように、ビジョンという旗をより高く掲げることだ。
そして、自分のノウハウや過去の産物に固執せず、AIを含めたあらゆるリソースを柔軟に取り入れ、「ターンキーの経営システム」という完成形へ向かって、改善と改革のサイクルを回し続ける。
楽しみながら、しかし着実に、今日もまた一つ石を積む。
