今日、「フィロソフィ」を読み進める中で、稲盛和夫氏が説く「人間の無限の可能性」について触れた。そこで語られていたのは、一見すると経営哲学とは矛盾するような逆説的な視点だった。
稲盛氏は、「おっちょこちょいでいい加減な人間になることが大事だ」と言う。
いわゆる「頭が良い人」「高学歴な人」は、分析能力に長けているがゆえに、やる前から結果を予測し、「それは無理だ」「リスクが高い」と可能性を自ら制限してしまう。対して、後先考えずに行動してしまうような「おっちょこちょい」な人間の方が、結果として大きな成果を生み出すことがあるというのだ。知識や論理が、時として行動のブレーキ、あるいは可能性を閉じ込める蓋になってしまうという事実は、非常に示唆的である。
「眠っている」エリートと、「目覚めた」野生
この稲盛氏の言葉を反芻するうち、私の思考はマイケル・ガーバーの理論へと接続された。ガーバーは「全ての人に内なる起業家精神(=想像力)が備わっている」と説く一方で、その精神は「普段は眠っている状態にある」と指摘している。これは彼が引用する神秘思想家グルジエフの「人間はほとんどの時間を寝ながら過ごしている」という言葉とも共鳴する。
ふと、かつての友人たちの顔が脳裏をよぎった。
私自身、学生時代の成績は偏差値55から60程度、いわゆる「中の上」であり、決して飛び抜けた秀才ではなかった。私より遥かに優秀で、誰もが知る大企業に進んだ友人たちは多い。しかし、彼らがその巨大な組織の中で、本来持っているはずのパフォーマンスや個性を発揮できているかといえば、必ずしもそうではないように見える。彼らはシステムの一部として、ある種「眠らされて」いるのではないか。
逆に、昔は勉強などせず、少しやんちゃで「後先考えない」タイプだった人間が、今では社長としてたくましく生きているケースがある。
稲盛氏の言う「おっちょこちょい」と、ガーバーの言う「意識的に生きる(目覚める)」こと。この二つは、「理性のリミッターを外し、内なる衝動(起業家精神)を解放する」という点で、本質的に同じことを指しているのだと気づかされた。
安全な檻を出るための「バカになる力」
ここから導き出される教訓は、「賢さという鎧は、時に自分を閉じ込める檻になる」ということだ。
分析や予測は経営において不可欠だが、それだけでは「非連続な成長」や「イノベーション」は生まれない。既存の枠組み(偏差値や大企業の論理)の中で最適解を出すことに長けていても、枠組みそのものを作ることはできないからだ。
ここで比喩を用いるならば、「高機能な自動運転車に乗って眠る」のではなく、「地図のない荒野を、自らの足で歩く」覚悟が必要だということだ。前者は安全で快適だが、行き先は誰かが決めた道に限られる。後者は危険で「おっちょこちょい」に見えるが、そこには無限の地平線が広がっている。
私が掲げる「Re-inventing Small Business in Japan(日本の中小企業の経営を再発明する)」というテーマも、既存の「賢い」やり方では達成できないだろう。ガーバーが言うように、経営者が環境を整え、社員一人ひとりの想像力を「目覚めさせる」こと。そのためには、まず私自身が、常識的な賢さを捨て、意識的に「バカ」になり、情熱を燃やし続ける必要がある。
明日への指針
私は、「賢い傍観者」ではなく、「愚直な実践者」であり続ける。
自らの理性が「それは難しい」と囁くときこそ、それが「眠り」への誘惑であることを自覚し、意識的にその壁を突破する。私の使命は、日本の中小企業に眠る「起業家精神」を呼び覚ますことだ。そのためにも、まずは私自身が誰よりも常識にとらわれず、突き進む姿を見せていく。
明日からの意思決定において、もし「失敗しないための理由」を探している自分に気づいたら、即座にそれを却下し、「可能性を拓くための行動」を選択する。
