今日は盛和塾の機関誌95巻を読み込み、二人の経営体験発表から強烈な刺激を受けた。

一人目は株式会社日本経営の小池会長。元々は税理士事務所としてスタートしながら、薬局や病院経営という実業に参画し、2009年当時で売上143億円(現在は『致知』によると400億円超)という規模を築き上げた人物だ。顧客の税務トラブル(20億円の追徴課税)に対し、自らの責任として肩代わりし、裁判で戦い抜いたエピソードは、覚悟の次元が違うことを物語っている。

二人目は、米国シリコンバレーで蘭(ラン)の栽培・販売を行い、世界的なシェアを持つ松井社長。20代で単身渡米し、綿密な「10年計画」を遂行して成功を収めた。彼には、稲盛塾長が農場を訪れた際、温室の外から眺めるだけでなく、中に入って一つ一つの花を手で触って確かめたという逸話がある。

「安全地帯」からの脱却と、計画のパラドックス

この二つの事例は、私の現在のビジネスと、これからの理想像に深く突き刺さるものだった。

まず小池会長の事例。これは私が描く「経営支援の理想形」そのものだ。

現在、私はコーチングという形でクライアントに関わっている。しかし、どれだけ熱心に支援しても、最終的な実行者はクライアントであり、私はどこか「安全地帯」にいる部外者に過ぎないというジレンマがあった。

真の支援とは、良いと思った会社には自らも投資し、ハンズオンで経営に入り込み、リスクを共有することだ。自分たちのメソッドが机上の空論ではなく、実業で通用することを自らの手で証明する。小池会長の姿勢は、まさに「実証実験」としての経営を体現している。

次に松井社長の事例。「10年計画」についての稲盛塾長の反応が興味深い。普段、稲盛氏は「長期計画は立てるな(目の前のことに集中せよ)」と説くが、松井氏の計画遂行能力は手放しで賞賛している。つまり、「長期計画は悪」なのではなく、「見通せない計画に縛られるな」というのが本質なのだ。やれる人間はやっていい。これは京セラにも中長期計画が存在するという事実とも合致する。

そして何より衝撃だったのは、稲盛氏が「蘭の花を直接触った」という事実だ。

広大な農場経営というマクロな視点を持ちながら、同時に現場の「花一つ」の品質を指先で確認するミクロな視点。この振幅こそが、卓越した経営者の条件なのだと痛感した。

指揮官は「最前線」の土の匂いを知らねばならない

ここから得られる教訓は二つある。

一つは、「実業なき支援は虚業になり得る」ということ。

自分自身が泥にまみれて経営を行っていない言葉には、重みがない。クライアントの代行ができるほどの実力と覚悟を持つことでのみ、真のパートナーシップは成立する。

もう一つは、「神は細部に宿り、悪魔も細部に潜む」ということ。

松井社長が稲妻に打たれたように、経営の隅々まで見回る努力を惜しんではならない。ビジョンや戦略といった「大きな絵」を描くことにかまけて、現場の「小さな綻び」を見逃せば、そこから組織は腐敗する。

経営とは、望遠鏡で未来を見通すことと、顕微鏡で現場を見ることの、絶え間ない往復運動なのだ。

現場の「手触り」を取り戻す誓い

今の自分を省みる。コーチングの現場や、日々の業務において、私は「現場の手触り」を失っていないか。

明日からは、自分のタスクの範疇を超えて、組織の末端まで神経を通わせる。

具体的には、共に働くコーチたちの振る舞い、クライアントへのメール一通、対応の一つ一つに至るまで、稲盛氏が蘭の花を触ったように、自分の目で見て、自分の感覚で確かめる。

「任せる」ことと「放置する」ことは違う。

未来の宇宙開発投資という壮大な夢を実現するためにも、まずは足元の実業において、隅々まで魂の入った経営を実践する。

投稿者 naokish

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