今日は月刊誌『致知』の3月号を読み込んだ。特集テーマは「此の処(ところ)即ち是(これ)道場」。いかにも職人堅気なテーマだ。
私は普段、経営者に対して「職人型経営からの脱却」を訴えている。社長が現場の職人として働き続けるのではなく、仕組みを作って任せるべきだと説いているからだ。しかし、パラドックスめいているが、私自身の中には強烈な「職人魂」が根付いていることを否定できない。
私がこだわっているのは、商品そのものではなく、「経営の仕組み」という作品の細部に対する執着だ。その意味で、私もまた一種の職人なのかもしれない。
鉄人の「図々しさ」と、刀匠の「構え」への違和感
誌面では二つの強烈な対談・インタビューが心に残った。
一つ目は、「料理の鉄人」坂井シェフと後藤氏の対談だ。
坂井氏は成功者の条件として「懐の深さ(敵を作らない)」「いい意味での図々しさ」「自分のコックコート姿への陶酔」の3点を挙げた。さらに後藤氏は、調理師学校を出て成功者になれるのは「1000人に1人」だという残酷な確率論を提示した。
これを自分に当てはめた時、冷や汗が出た。私には「敵を作らない配慮」と「図々しさ」が欠けている。対立するつもりはなくても、無神経さゆえに知らず知らずのうちに敵を作り、ここぞという時に遠慮してしまう弱さがある。独立し、さらにその頂点に立つ確率が1000分の1だとすれば、今のままの「構え」では生き残れない。
二つ目は、現代の名工である刀匠(とうしょう)・河内氏の言葉だ。
彼は「人間が前に出るな、仕事を前に出せ」と語る。そして、技術よりも「構え(心構え・身構え)」を教えることの難しさを説く。器用な人間は技術を早く覚えるが、不誠実な仕事になりがちで長続きしない。逆に不器用な人間は、時間がかかる分、刀匠としての「構え」が身体に刻み込まれるという。
最初は「人間を前に出すな」という言葉の意味を測りかねた。だが、彼が家族の不幸や困難があっても展覧会への出品を一度も休まなかったという「心構え」を知り、理解が及んだ。
自分の名前やエゴを売るのではなく、魂を込めた「作品」だけを世に問う。言葉で語るのではなく、モノで語る。それが「仕事を前に出す」ということなのだ。
300年後の教科書に残る「仕事」とは
河内氏の言葉に、「正宗の刀が残っているから、後世の刀匠たちはそれに追いつこうと挑戦し続ける」という一節があった。
言葉や技術は、口伝だけではいつか途絶える。しかし、圧倒的な熱量で打たれた「名刀(モノ)」は、300年経っても雄弁にその精神を語り続ける。
ここで私は自問する。「私の仕事において、300年残る『名刀』とは何か?」と。
先日出版した書籍は「仕組み化の技法」を説いたものだが、これは時代とともに陳腐化する実用書かもしれない。300年後の人間にまで届く「名刀」とは、もっと普遍的な「哲学」を宿した書物か、あるいは「経営のあり方を変えた」という歴史的な転換点(エポックメイキング)そのものではないか。
会社組織そのものが300年続くかは分からない。だが、「かつて経営とは属人的なものだったが、ある時代を境に科学になった」という歴史の教科書の一行を残すことはできるかもしれない。それこそが、私が打つべき「刀」なのだ。
エゴを削ぎ落とし、作品を磨く
明日からの指針とする。
これまでは、どこか「自分」という人間を認めてほしいという承認欲求(人間を前に出す欲)があったかもしれない。また、無神経な振る舞いで無用な摩擦を生んでいたかもしれない。
これからは、自分の存在を消すほどに、提供する「仕組み」や「思想」の純度を高めることに集中する。
器用貧乏にならず、不器用でも「構え」を作る時間を惜しまない。
300年後の未来の経営者が、私の残したテキストや概念に触れた時、「ここが経営の転換点だった」と気づくような、そんな普遍的な仕事を一つでも多く残す。
私は、言葉多き解説者ではなく、沈黙のうちに語りかける「名刀」の打ち手になる。
