今日、盛和塾機関誌91号の「経営発表」と「経営問答」を読み進めた。取り上げられていたのは、株式会社札幌白衣の山内社長の事例だ。
山内社長は1989年に父の会社に入社。その後、父の急逝により若くして実質的な経営判断を担うこととなった。彼の悩みは、大きく分けて3点。苦手な営業への関わり方、社員の定着率、そして成熟市場での差別化だ。
稲盛和夫塾長は、山内社長の問いに対し、「頭が良く、賢いがゆえに人の欠点が見えてしまい、それがイライラや怒りにつながっている」と指摘された。その上で、営業への苦手意識を捨て、社員への感謝と愛情を持つこと、まずは既存事業でのシェア拡大を目指すべきだと説かれていた。
その「怒り」は、仕組みの欠如から目を逸らしていないか
塾長の指摘は至極真っ当であり、人格的な成長を促すものである。しかし、それ以上に私が強く感じたのは、この状況が「典型的な属人型経営の限界」を示しているという点だ。
山内社長は「営業が苦手だ」と言いながら、自ら顧客を回っている。一見責任感があるように見えるが、これは「営業を個人の資質や根性の問題」として捉えている証左ではないか。営業の成約率をどう高めるか、スタッフと共に議論し、再現性のある「仕組み」に落とし込もうという視点が欠落しているように感じた。
また、社員を叱責してしまうという悩みについても、同じ構造が見える。何度も同じことで怒らなければならないのは、基準が「社長の頭の中」にしか存在しないからだ。部下がミスをする、あるいは手抜きをするのは、何が正解かが明確なドキュメント(仕組み)として定義されていないからではないか。
経営を「OSの構築」と捉える
今回の内省を経て言語化した自分なりの法則は、「不機嫌はシステムのバグの現れである」ということだ。
経営者が社員に対してイライラを感じる時、それは社員の能力が低いからではなく、経営者が「言語化」と「仕組み化」の怠慢をしていることに起因する。
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営業は「才能」ではなく「確率」のデザインである。
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指示は「言葉」ではなく「紙(ドキュメント)」で行う。
口頭での注意は、その場限りの感情のぶつけ合いに終始し、組織の資産にはならない。二度以上同じことで怒る必要が生じたら、それは「個人の責任」ではなく「仕組みの欠陥」とみなすべきだ。属人性の檻から抜け出すには、社長自身の頭の中にある「感覚」を、誰でも扱える「道具」へと変換し続ける作業が必要不可欠である。
筆を執り、感情を論理に変換する
明日から、自分自身も「何度も同じことを言っている」と感じた瞬間、それを怒りに変えるのではなく、即座にメモを取り、ドキュメント化に着手する。
「なぜ伝わらないのか」と嘆く時間は無用だ。「どう書けば、誰がやっても同じ結果が出るか」という問いに全神経を集中させる。経営者の仕事は、現場で営業を代行することではなく、現場が迷いなく動けるための「地図」と「武器」を整備することにある。
まずは、現在自分が抱えている業務の中で、最も属人化している「判断基準」を一つ選び、マニュアルとして言語化することから始める。感情で人を動かすのではなく、理にかなった仕組みで組織を動かす。それが、私自身の成長と組織の安定を両立させる唯一の道であると、心に深く刻む。
