盛和塾機関誌92号を読み返し、稲盛和夫塾長による経営相談の内容を咀嚼した。相談者は、正社員とアルバイト合わせて90名規模の組織を率いる経営者。悩みは、創業期を支えてきた「番頭」的存在が、後から入社した若手社員に実力で追い抜かれている現状についてだ。役職を解けばモチベーションの低下や恨みを招く恐れがある中、どのように世代交代を進めるべきか。

これに対し塾長は、「降格させる必要はない」と断じた。代わりに、その番頭と真摯に向き合い、若き後継候補の「後見人」として支えてほしいと頭を下げるべきだと説いている。もし、私心や慢心が邪魔をして若手の台頭を認められないのであれば、それは組織の害となるため、辞めてもらうほかないという厳しい指針であった。

人情論の先にある「機能」の欠如

塾長の回答を読みながら、自分の中に一つの明確な違和感と、それを突破するための視点が生じた。塾長の説く「徳」に基づいた人間関係の調整は不可欠だが、それだけでは組織の永続性は担保できないのではないか。

以前の自分なら、塾長の「誠心誠意話し合う」という姿勢にただ感銘を受けて終わっていたはずだ。しかし今の自分は、この問題の根本に「番頭」という言葉の曖昧さを見ている。日本企業特有のこの呼称は、役割を「人情」や「あうんの呼吸」というブラックボックスの中に閉じ込めてしまう。もしこの番頭の役割が、海外で言うところのCOO(最高執行責任者)のように定義されていたなら、現状のパフォーマンスと求められる成果の乖離をもっと客観的に議論できたはずだ。感情の問題を、制度や体制の不備にすり替えていないだろうか。

功労を「地位」ではなく「機能」で報いる法則

組織が拡大する過程で、初期の功労者が能力的なボトルネックになるのは避けられない現象だ。これを個人の資質の問題として片付けるのではなく、自分なりの「組織運営のルール」として言語化しておきたい。

それは、「役割の言語化」と「機能への置換」である。組織図におけるポジションを、単なるランク(格付け)としてではなく、特定の「機能(ジョブ・ディスクリプション)」として定義し直すこと。比喩的に言えば、「歴史を創った剣士」を、無理に「最新鋭の軍師」として使い続けるのではなく、「伝統を継承する師範代」という新しい機能を組織内に設計し、そこに配置するようなものだ。 感情論に終止符を打つのは、冷徹な断罪ではなく、誰にとっても納得感のある「仕組み」としての評価基準に他ならない。

機能を定義する経営への移行

明日から、自社の組織図を「誰が座っているか」ではなく「何をする場所か」という視点で再点検する。特に「右腕」と呼んでいる存在に対して、自分が期待しているのはCOO的な実務執行なのか、あるいは精神的な支柱としての役割なのかを明確に切り分ける。

塾長の説く「誠実な対話」は、この明確に定義された役割の上で行使してこそ、初めて相手の魂に届く。属人的な「番頭経営」を卒業し、機能を定義する「組織経営」へと舵を切る。それが、会社を守ること、そして功労者の尊厳を結果的に守ることにも繋がると自分に言い聞かせたい。

投稿者 naokish

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