今日、盛和塾の機関誌93号を読み返した。2009年発行のこの号は、まさにリーマンショックの直後であり、塾長講話のテーマは「強く清らかな心で不況を乗り切る」というものだった。当時、受注が7割減という極限状態の部署がありながら、京セラが黒字を維持していたという事実は、今更ながら驚異的だ。

稲盛和夫塾長は、中村天風氏の「尊く、強く、正しく、清い心」を引用し、苦境にあっても悲観に暮れず、ポジティブな心で努力を重ねる重要性を説いている。また、実務面では「ROE(自己資本利益率)を重視する経営」に対し、明確に反対の立場をとっている。欧米流の経営では、分母である自己資本を減らしてROEを高めることが良しとされるが、それでは内部留保が蓄積されず、不況時に社員を守ることができない。日本の雇用慣行を前提とするならば、自己資本を厚くし、キャッシュを蓄えておくことこそが、不況という嵐を凌ぐ唯一の防波堤になるという教えだ。

一人の運転手が遺したもの

「100年に一度の不況」と言われたリーマンショックからわずか10年余り、2020年にはコロナ禍によるパンデミックが世界を襲った。事実は、「100年に一度」の災難など、実際には10年に一度の頻度でやってくるということだ。不況は例外ではなく、経営のサイクルに組み込まれた「既定路線」として捉え直す必要がある。

今回、特に心を揺さぶられたのは「心の研究」のセクションにあった「荘川桜(しょうかわざくら)」のエピソードだ。ダム建設に伴い水没するはずだった老桜を移植するプロジェクト。その作業を毎日バスの運転席から見守っていた佐藤さんという運転手の物語である。彼は移植された桜を支えようと、自らの路線のバス停ごとに12年かけて2000本もの苗木を植え続けたという。

「あの方は本当にその路線を愛していましたな」という地元の方の言葉が、胸に深く刺さった。私はこれまで、掃除や整理整頓を「義務」や「規律」として捉えていた節がある。しかし、この運転手が取った行動は、それらを超越した「場所への深い愛」そのものだった。

職場は「心を映す器」であり、自ら耕すべき「楽園」である

抽象化すれば、この教訓は「環境が自分を幸せにするのではなく、自分が環境を楽園に変えるのだ」という法則に行き着く。

自分の職場や仕事場を、単なる「労働の対価を得る場所」と考えているうちは、環境への不満が消えることはない。建物が古かろうが、状況が厳しかろうが、そこを「楽園」にしようとする意志がなければ、たとえ最新のオフィスに移ったとしても、結局は同じ不満を抱えることになるだろう。佐藤さんがバス路線という自分の「現場」を愛し、2000本の桜で彩ったように、プロフェッショナルとは、自分が関わる領域を自らの手で美しく、尊い場所に変えていく者のことを指すのだ。

明日から私が行う、場所への献身

今の自分に足りないのは、職場に対する「圧倒的な当事者意識と愛着」だ。単にゴミを拾う、机を拭くといった作業的な清掃で満足してはいけない。

明日からは、今の職場を「どうすればより素晴らしい場所にできるか」「どうすればここに関わる人々が心地よく過ごせるか」という視点で眺めることから始める。具体的には、まずは自分の周囲だけでなく、誰も気づかないような共有スペースの隅々まで、この場所を愛でるような気持ちで手入れを行う。

「今いる場所を楽園にできない人間に、理想の職場を作る資格はない」。この言葉を自分への戒めとし、まずは一歩、自分の足元を美しくすることから再出発する。

投稿者 naokish

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