今日から、かつて盛和塾の塾生たちが熱心に取り組んでいた「京セラフィロソフィマラソン」を、私一人で、このブログという場を通じて始めることにした。 彼らがグループで行っていた輪読と内省を、私は独白として記録していく。これは誰かへのノウハウ提供ではない。未来の私が読み返した時、今の私の思考の現在地を知るための座標軸である。

1. 京セラフィロソフィとは何か

まず、京セラフィロソフィとは何か。それは単なる社訓やスローガンではない。京セラ、そしてKDDIという巨大企業を成功に導いた稲盛和夫氏の「判断基準」そのものであり、企業活動の根底を流れる「血流」のようなものだ。 稲盛経営は、二つの車輪で動いていると定義できる。一つは「フィロソフィ(哲学・考え方)」、もう一つは「アメーバ経営(管理会計システム・仕組み)」だ。精神と科学、理念と計算。この両輪が揃って初めて経営は機能する。これは、私たちが日頃クライアントに伝えている「理念と仕組みの両輪が重要だ」という主張と完全に合致する。

今回の学習で、私が何よりも衝撃を受けたのは、私が師事したマイケル・ガーバー氏と、稲盛和夫氏の奇妙なまでの一致である。 一般的に、ガーバー氏は「仕組み化・システム化」の権威として知られ、稲盛氏は「精神論・フィロソフィ」のカリスマとして認知されている。一見、水と油のように見える二人だが、実は驚くほど似通った背景を持っている。

同年代の二人は、その人生の主軸を「精神の探究」に置いていた。 ガーバー氏は42歳で起業するまで、流浪のユダヤ人としてヒッピーのような生活を送り、西洋哲学のみならず東洋哲学にまで没頭していた過去がある。一方の稲盛氏もまた、技術者でありながら哲学書を読み漁り、最終的には仏門に入るほどの求道者であった。 そして二人が到達した結論は、全く同じ言葉で表現される。 「会社とは、一つの生命体である」 ガーバー氏は「正しく作られた会社は、生命体のように自律的に成長する」と説き、稲盛氏は「作った時点では書類の束に過ぎない会社に、経営者がDNAを注ぎ込むことで生命体になる」と語った。太平洋を隔てた二人の賢者が、同じ山の頂(いただき)を見ていたという事実は、偶然の一言で片付けるにはあまりに重い。

また、京セラフィロソフィの構成が「人生」「経営」「全員参加」「日々の仕事」の4部構成であり、冒頭が「人生」から始まっている点も重要だ。「仕事をすること」と「善く生きること」を完全に同一視している。 これは、戦前の日本で行われていた「修身(身を修める)」の教育に通ずるものがある。戦後、GHQの政策によりその教育が排除され、共通の道徳基盤を失った日本社会が、経済的豊かさの後に迎えた「失われた30年」という停滞。稲盛氏は、企業という枠組みの中で、日本人が失った「精神の背骨」を再構築しようとしていたようにすら見える。

2. 違和感・発見(Insight)

今回の学びを通じて、私は自分の中にある「甘さ」と直面することになった。

第一に、「仕組み」に対する認識の深さだ。 私はこれまで「仕組み化」を、効率化や標準化の文脈で語ることが多かったかもしれない。しかし、二人の巨人が言う「生命体」という言葉は、もっと有機的で、生々しく、熱を帯びたものだ。 書類やマニュアルといった無機質なものが「生命」に変わる瞬間には、必ず「注ぎ込む」という行為が必要になる。それは経営者の執念であり、DNAだ。私はクライアントに対して、マニュアルの作り方は教えても、そこに「魂を込める」ことの重要性を、どれだけの熱量で伝えられていただろうか。仕組みとは、魂の抜け殻であってはならないのだ。

第二に、「排他性」への肯定である。 稲盛氏は「フィロソフィを共有できない人は辞めてもらっても構わない」という姿勢を崩さなかった。これは、現代のAmazon傘下にあるザッポスが、新入社員研修後に「辞退すれば20万円支給する(The Offer)」という制度を設けているのと本質的に同じだ。 私は心のどこかで「多様性」という言葉に逃げ、価値観の合わない人間ともなんとかやっていくのがマネジメントの腕だと思い込んでいなかったか。 しかし、それは間違いだ。会社が一つの生命体である以上、免疫機能のように異物を拒絶する反応がなければ、個体としての純度は保てない。「誰でもいい」は「誰でもない」のと同じだ。

そして第三に、「登る山」と「求められる規律」の関係性だ。 エベレストに登るチームには、一挙手一投足に至るまで厳格なルールと絶対的な服従が求められる。一つのミスが全員の死(倒産)に繋がるからだ。一方で、高尾山へのハイキングなら、もっと自由で緩やかなルールで構わない。 稲盛氏はかつて、目的地を伝えないままフィロソフィ(厳しい規律)だけを説いて、社員の反発を招いたという。 これは強烈な教訓だ。社長が「エベレストを目指す」と宣言し、社員がそれに合意して初めて、「だからこの重い酸素ボンベ(フィロソフィ)を背負わなければならないのだ」という理屈が通る。 目的地を示さずに「厳しくあろう」とするのは、ただの理不尽な独裁でしかない。私は、自分のチームに、そしてクライアントの組織に、まず「どの山を目指すのか」を問いかけていただろうか。

3. 教訓(Lesson)

今回の内省を以下の3つの法則として言語化する。

  1. 仕組みの生命体化の法則 仕組み(システム)は構築しただけでは死体に過ぎない。そこに創業者の強烈な思想(DNA)が血液として循環し続けて初めて、それは「生命体」となり、自律的な成長を始める。

  2. 目的と規律の整合性(エベレストの法則) 組織に求められる「思想の純度」と「ルールの厳格さ」は、目指す「山の高さ」に比例する。高みを目指すならば、自由気ままな振る舞いは許されない。その不自由を受け入れる覚悟こそが、登頂へのチケットである。

  3. 価値観のフィルター 「来る者拒まず」は経営ではない。明確な価値観を掲げ、それに共鳴しない者が自ら去っていくような「仕組み(文化)」を持つことこそが、組織の健全性を保つ。

4. 指針(Next Action)

これらを踏まえ、私は明日から以下の行動を変える。

  • 「山」の明示を最優先する 自社においても、支援先においても、フィロソフィやルールを議論する前に、「我々はどこを目指しているのか(エベレストなのか、高尾山なのか)」という合意形成に時間を割く。ここがズレたままの議論は一切しない。

  • 「仕組み」の定義を書き換える 「仕組み化」の支援において、単なる業務フローの整備に留まらず、「そこに創業者の想いが乗っているか」「判断基準(フィロソフィ)が埋め込まれているか」をチェック項目に加える。無機質なシステム屋ではなく、組織を生命体にするための「DNAの伝道師」として振る舞う。

  • 去る者を追わず、合わない者を入れず 採用や評価において、スキル以上に「フィロソフィへの共感」を絶対的な基準とする。ザッポスのように、合わないことがお互いにとって不幸であることを明確に伝え、別々の道を歩むことを恐れない。

稲盛氏が、そしてガーバー氏が見ていた「生命体としての会社」。その境地に一歩でも近づくため、このフィロソフィマラソンを完走する。

投稿者 naokish

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