今日、フィロソフィの「自ら燃える」という項目を読み返した。稲盛和夫氏は、人間を「自然性」「可燃性」「不燃性」の3種類に分け、会社を成長させるには自ら燃え上がる「自然性」の人間が不可欠だと説いている。
自然性であるための条件は、自分の仕事を好きになること、そして明確な目標を持つこと。また、採用においては「勝ち気」で「積極的」な人物を見極めるべきだとされている。一方で、既に組織にいる人間に対しては、責任感と使命感を持たせることで、自然性へと変容させる可能性があることも記されていた。
ここで興味深いのは、マイケル・ガーバーの視点との共通点だ。ガーバー氏も「好きなことで起業する(職人的視点)」の危うさを指摘し、「今していることを好きになる(起業家的視点)」ことの重要性を説いている。それは、単なる労働ではなく、仕組みを通じて他者の人生に貢献し、その結果(喜び)を愛するというプロセスである。
不燃性の正体は「環境」が生み出す仮面
「不燃性の人間をはびこらせてはいけない」という言葉に触れたとき、かつて支援した小規模企業の事例が脳裏をよぎった。
その会社の社長は、清掃からシフト管理、SNS更新に至るまで、あらゆる実務を自ら抱え込み、常に忙殺されていた。一方で、社員たちはどこか冷めており、指示待ちの「不燃性」に見えていた。しかし、業務を分解し、「朝礼係」「SNS更新係」といった小さな役割を分担した途端、彼らは驚くほどの責任感を持って動き始めたのだ。
ここで気づかされた。私はこれまで「あの人は不燃性だ」と、相手の資質の問題として片付けていなかっただろうか。実際には、彼らが燃えるための「薪(役割)」や「酸素(責任)」を、リーダーである私が奪っていただけではないのか。不燃性に見える人々の中には、単に「燃えるための居場所」を与えられていないだけの自然性や可燃性が隠れている。
情熱とは「仕組み」から供給されるエネルギーである
情熱とは、個人の資質だけに依存するものではない。「何をすべきか」というタスクの提示ではなく、「誰のために、何に責任を持つか」という役割の定義こそが、人の心に火を灯す。
自然性の人間を育てるプロセスを比喩で表すなら、それは「焚き火の組み方」と同じだ。どんなに燃えやすい薪(資質のある人間)であっても、隙間なく積み上げすぎれば(過干渉・役割の不在)、酸素が回らず火は消えてしまう。適度な空間、すなわち「任される責任の範囲」があって初めて、火は自律的に燃え広がる。
自分がしていることを好きになるためのガーバー流の「貢献の仕組み」と、稲盛氏の説く「使命感による点火」。この二つが組み合わさったとき、組織は外部からの刺激を待たずとも自走を始めるのだと確信した。
「役割」の導入
翻って、自分の周りを見渡してみる。幸いなことに、私の周囲には個人事業主として自ら燃える「自然性」の人々が多い。しかし、認定コーチのコミュニティにおいては、まだ私たちが中心となって火を回している感覚がある。
彼らの自律性を促し、コミュニティをさらに広げていくためには、「火守り」を独占してはいけない。あえて「係(役割)」を細分化し、それぞれのコーチに責任と使命を委ねる。
明日から、各コーチに対してどのような「責任ある役割」を提案できるか、具体的な制度設計に着手する。彼らを単なる「協力者」としてではなく、コミュニティの「熱源」として定義し直すことが、今の私に課せられた使命だ。
