京セラフィロソフィの「物事の本質を極める」を読み進めた。一つのことを突き詰め、その真理を体得すれば、他のあらゆる事象にも通じるようになる。また、人格や風格というものは、高尚な理屈ではなく、日々の仕事に心血を注ぎ、打ち込むプロセスの中でこそ磨かれるものだという。一つの事象から全体を洞察する「名人」の領域。それは、単なる技術の習得ではなく、魂の研鑽の先にある境地である。
部分から全体を透視する「名人の眼」
かつて読んだ松下幸之助氏の言葉が蘇る。足つぼのマッサージ師が足裏だけで全身の状態を把握するように、断片から真実を見抜くのが名人である。
自分の領域に置き換えたとき、私はまだその域に達していないと痛感する。オフィスに入った瞬間の空気感、社長と社員の何気ない一言、あるいは財務諸表の数字の羅列。それらを見た瞬間に、資金繰りだけでなく、社風やビジネスモデルの歪みまでが立体的に浮かび上がってくる……。そこまでの解像度で世界が見えているだろうか。研究者タイプを自認し、本質を追うことは好きだが、今の自分にはまだ「見えていないもの」が多すぎる。修行が足りないのだ。
真剣勝負の積み重ねが「風格」を創る
二宮尊徳は、一村の復興を成し遂げたことで、その手腕を請われ、各地から「どうかお願いします」と頭を下げられる存在となった。この「請われてやる」という状態こそが、本質を極めた者の姿だろう。
今の自分にできることは、目の前の仕事すべてを真剣勝負の場と捉えることだ。依頼される仕事、講演やセミナーの依頼を、条件にこだわらずに引き受けているのは、この「頼まれて動く」という尊徳の姿勢に近づきたいからである。一つひとつの現場で「なぜこうなっているのか」を死ぬ気で深掘りする。その泥臭い反復だけが、直感的に本質を射抜く「名人の眼」を養ってくれる。
財務諸表を「会社のカルテ」として読み解く
明日からは、クライアントと対峙する際、表面の言葉や数字だけではなく、そこに流れる「感情」や「組織の癖」を読み取る訓練を課す。
「この交際費の使い方は、社長のどういう孤独を表しているのか」「この在庫の積み上がりは、現場のどんな諦念の結果か」。部分から全体を透視する意識を常に持ち、現場に臨む。妥協のない真剣勝負の毎日を積み重ね、いつか一瞥しただけで企業の魂の輪郭を掴める領域まで、自分を追い込んでいく。
