今日、京セラフィロソフィの「宇宙の意志と調和する心」という項目を読み進めた。そこで説かれていたのは、宇宙の進化・発展は単なる偶然の産物ではなく、明確な意志を持った「必然」であるという視点だ。あらゆるものが成長を目指すのが宇宙の理であり、そうであるならば、いかなる組織であっても未だ発展の余地を残していることになる。

また、経営者の「器」とはすなわちその人物の「人格」であり、心を磨き高めることによってのみ、その器は拡張されるという記述が深く胸に刻まれた。

違和感・発見:生命体組織論とシミュレーション仮説の交差

この「必然的な進化」という考え方は、今自分が研究している「生命体としての組織論」と驚くほど合致する。ダーウィン的な偶然の変異による進化ではなく、スチュアート・カウフマンが提唱するように、一定の条件下では生命は必然的に誕生し、組織化される。つまり、会社が成功するか否かも偶然の運に左右されるものではなく、適切な条件——すなわち「理念」という設計図——が整えば、生命体のように自律的に成長していくはずなのだ。

ここで、自分の中にある「器」の定義がさらに深まった。以前、私はブログで「許す力」が器の条件だと書いたが、今日の読書を通じてその意味がより鮮明になった。

「許す」とは、単に相手の過ちを見逃すことではない。「相手が損なってしまった(あるいは自分を攻撃してきた)のは、すべて自分の責任である」と捉え直すことだ。これを突き詰めると、一種の「シミュレーション仮説」のような感覚に辿り着く。もしこの世界がすべて自分の脳内で生成されたシミュレーションであるならば、外界で起きる不都合な事象はすべて、自分というプログラムの反映に過ぎない。

宇宙や地球という巨大な無機物に対しても、ガイア理論が示すように「意志」を見出すことができる。人間という「宇宙の構成要素の集合体」に意志があるのなら、その親体である宇宙に意志がないと考える方が不自然だ。私が感じている「意志」もまた、物理現象の一部であるならば、宇宙の意志と個人の意志は本来、地続きであるはずだ。

教訓:「全責任」という名のホログラム

宇宙の進化が必然であるならば、組織の停滞は、リーダーがその流れを堰き止めている時に起こる。その堰(せき)となっているのが、他者への非難や環境への不満、すなわち「責任転嫁」だ。

私にとっての「器」とは、「目の前の現象を、100%自分の内側の投影として受け入れる容量」のことである。相手が自分を批判する、あるいは部下が期待通りに動かない。それを「相手の問題」とした瞬間、器の拡張は止まる。しかし、「これは自分の脳内のシミュレーションであり、自分の責任だ」と受容できた時、そこに「許し」が生まれ、器は一回り大きくなる。

この世界を、自分という中心から映し出されたホログラムのように捉えること。このパラダイムシフトこそが、宇宙の意志——すなわち絶え間ない進化——と同期するための条件なのだ。

指針:今日からの自分への誓い

他者に対して不満や違和感を抱いた瞬間、それを「外界のノイズ」ではなく「自分自身の内なる反映」として即座に翻訳する。

「なぜこの状況が、自分のシミュレーションの中に現れたのか?」を自問し、すべての因を自分に帰すこと。それが「人格を磨く」という抽象的な行為を、具体的な日常の鍛錬に落とし込む唯一の方法だ。会社の成長を「必然」とするために、まずは私自身の「責任の境界線」を、この宇宙の果てまで広げていく。

投稿者 naokish

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