今日も京セラフィロソフィを読み進めた。今回のテーマは「開拓者であれ」。
誰も足を踏み入れたことのない未踏の分野を切り拓くこと。そこには、未来への夢と強烈な思いが必要不可欠であると説かれている。しかし、稲盛和夫は同時にこうも述べている。道なき道を歩むがゆえに、確固たる「羅針盤」が必要であり、彼にとってはフィロソフィこそがその役割を果たしたのだ、と。
単なる冒険心だけではなく、拠り所となる指針があって初めて、人は開拓者たり得るのだ。
「経営はアート」という常識への違和感
この教えを現在の自分の挑戦に照らし合わせたとき、私が挑んでいる「開拓」の輪郭がはっきりと浮き彫りになった。
私は今、二つの側面から未踏の地に挑んでいる。
一つは、「経営のテンプレート化」だ。世の中では「経営に正解はない」「経営は経営者の個性や業界の特殊性によるものだ」と信じられている。つまり、経営の成否はセンスや偶然、あるいは属人的な努力に依存するというパラダイムだ。私はこの常識に強い違和感を抱いている。経営には間違いなく「原理原則」が存在し、それを型(テンプレート)として当てはめれば、誰でも一定の成果が出せるはずだ。私は、経営という「アート(直感・芸術)」と見なされている領域を、「サイエンス(科学・再現性)」へと昇華させようとしているのだ。
もう一つは、それを「システム(ツール)」として実装することだ。高額な報酬を支払って凄腕のコンサルタントを雇うのではなく、誰もが使えるツールとして提供する。一部の特権階級だけのものではなく、万人が使える武器として普及させること。
これは、鬱蒼としたジャングルを、限られたガイド(コンサルタント)だけが案内できる世界から、誰もが地図(テンプレート)とコンパス(ツール)を持って歩ける世界へと変える試みだと言える。
コア・バリューという名の羅針盤
しかし、地図を作る者自身が迷子になっては話にならない。ここで稲盛氏の言う「羅針盤」の重要性が重くのしかかる。
私にとっての羅針盤とは何か。それは「なぜ、この事業をやらなければならないのか」という人生の目的であり、私自身のコア・バリューだ。
未踏の地を開拓する作業は孤独だ。「そんなことは不可能だ」「経営はもっと複雑だ」という声に晒されることもあるだろう。その時、立ち返るべき場所がなければ、私は容易に方向を見失う。技術的な革新や理論の構築も重要だが、それ以上に「この開拓が誰のため、何のためにあるのか」という原点がブレてはいけない。
開拓者としての資格は、スキルの高さではなく、抱く志(羅針盤)の純度によって決まるのだ。
未熟さを認め、磨き続ける誓い
数年後、未来の自分が今日のこの記録を読み返した時、きっと「当時の認識はまだ甘かった」と苦笑するに違いない。だが、それでいい。
今の自分の「開拓」が、まだ入り口に立ったばかりであることを認めよう。私の羅針盤はまだ磁力が弱く、地図の精度も粗いかもしれない。だからこそ、日々の研鑽が必要なのだ。
明日からは、単にシステムを作る・理論を組むという「作業」に没頭するのではなく、「これは自身のコア・バリューに合致しているか?」と常に羅針盤を確認しながら進む。自分の人生の目的という原点に、毎日立ち返ることを誓う。
