今日も京セラフィロソフィを読み進めた。テーマは、「もうダメだという時が仕事の始まり」。
盛和塾の塾生たちの間でも頻繁に引用され、多くの経営者を救ってきたとされる有名な言葉だ。
かつて稲盛和夫は「研究の成功率はどのくらいか」と問われた際、「すべてうまくいく」と答えたという。その理由はシンプルかつ強烈だ。「うまくいくまでやり続けるから」。これは一見すると精神論の極致のようにも聞こえるが、食いついたら離れないスッポンのような執念こそが、不可能を可能にする唯一の道筋であることを示している。
「余裕」こそが「執念」の燃料である
しかし、この言葉を額面通りに受け取るだけでは不十分だということに気づかされた。稲盛氏は別の箇所で、重要な前提条件を提示している。それは「経営に余裕があるからこそ、続けられる」という事実だ。
本当に資金もリソースも尽きかけ、土俵際で足が出かかっている状態では、物理的に粘り続けることは不可能だ。つまり、「もうダメだ」からの粘りを実現するためには、常に土俵の真ん中で相撲を取るような「ダム式経営」が前提として存在していなければならない。
私は時折、趣味の登山中にこの言葉を思い出す。「もう登れない」と思った時が登山の始まりだ、と自分を鼓舞するのだが、これは笑い話として済む。だが、経営においては笑い事ではない。「粘る」という精神的なアクションは、「余裕」という物理的なリソースがあって初めて成立する。この両輪の関係性を見落としてはならない。
平時の「緩み」と有事の「スイッチ」
現在の自分の状況を省みる。正直なところ、今の仕事にはある程度の余裕があり、「もうダメだ」と追い詰められる場面は少ない。これはダム式経営ができている証拠でもあるが、一方で、ハングリーさが失われていることへの警鐘かもしれない。
「もうダメだ」という壁がない日常は、平穏だが成長も鈍化しやすい。
このフィロソフィが真価を発揮するのは、日常業務ではなく、大きな負荷がかかる局面だ。私の場合で言えば、大規模なイベントの集客や、月次目標の達成が危ぶまれる月末の攻防などがそれに当たる。
数字が伸び悩み、万策尽きたと感じた瞬間。そこで「今回は仕方ない」と諦めるのか、それとも「ここからが本当の仕事だ」とスイッチを切り替えるのか。その分岐点が、凡人と非凡を分ける。
限界を「スタートライン」と再定義する
登山で息が上がり、足が止まりそうになった時こそが、筋力が鍛えられる瞬間であるように、仕事もまた、限界を感じた地点からしか本当の成果(=予定調和を超えた結果)は生まれない。
明日からの指針とする。
普段は余裕を持って経営にあたるが、イベント集客や目標達成の局面で「数字が届かない」という壁にぶつかった時、私はそれを「失敗の予兆」ではなく「仕事の開始合図」と捉え直す。
「もうダメだ」という感情が湧いたら、それは終了のゴングではなく、第2ラウンドの開始を告げるゴングだ。そこから絞り出した知恵と行動だけが、私の血肉となる。
