今日、「京セラフィロソフィ」の項目にある「真の勇気を持つ」を読み込んだ。
そこで語られていたのは、正しいことを貫く強さの重要性だ。しかし、それは単なる勢いや無鉄砲さ——いわゆる「蛮勇(ばんゆう)」であってはならない。責任感や使命感に裏打ちされた、高潔な意志に基づく勇気こそが必要だと説かれていた。
これまでは「勇気」という言葉を、どこか精神論的で、勢い任せのエネルギーとして捉えていた節があったかもしれない。だが、稲盛和夫氏の言葉を通じて、勇気とは「論理や倫理に基づいた静かなる覚悟」であると再定義された。
「設計」から「実行」へのパラダイムシフト
この哲学を、現在進行形で取り組んでいる自社の「仕組み経営コーチ」の行動基準改定に重ね合わせたとき、強烈な符合を感じた。
これまで我々は、クライアントに対して「仕組み化を支援する」という立ち位置を取ってきた。しかし、仕組みの「設計」そのものは、今やAIが高度にこなせる領域になりつつある。設計図を描くだけなら、人間の介在価値は薄れていく。
では、我々の真の価値はどこに残るのか。それは「実行のパートナー」としての泥臭い関わりだ。
AIは正論を吐くが、実行を迫る熱量は持たない。クライアントに対して「言うべきことを言う」勇気、耳の痛い指摘であっても使命感を持って伝える姿勢。それこそが、今の我々に求められている「真の勇気」の実践であると痛感した。
これまでは「良い設計図を渡せば、あとは経営者がやるだろう」という甘えが、心のどこかにあったのかもしれない。それは、摩擦を避けるための逃げであったと言わざるを得ない。
勇気の連鎖を生む「最初のドミノ」になる
この気づきを抽象化すると、我々コーチとは「勇気の伝導体」であるべきだという結論に至る。
世の中には、社長という立場でありながら、部下と真正面から「相対(あいたい)」して話すことができないリーダーが驚くほど多い。嫌われることを恐れ、伝えるべきことを伝えられない。その弱さが、組織の淀みを生んでいる。
もし、我々コーチがクライアント(社長)に対して遠慮し、言うべきことを飲み込んでしまえば、その弱さはそのまま社長へと伝染し、さらにその部下へと伝播する。
逆に、我々が「真の勇気」を持って社長と対峙すれば、社長もまた、部下に対して模範となろうとするはずだ。
我々は、組織が変わるための「最初のドミノ」でなければならない。自分が倒れる(踏み込む)勇気を持たずして、次のドミノが動くことはないのだ。
摩擦を恐れず、愛を持って踏み込む
明日からのコーチング現場において、以下の誓いを立てる。
これまでの「支援者」という安全地帯から一歩踏み出し、「実行の同志」として対峙すること。
もし、クライアントへの指摘を躊躇する瞬間があれば、それは「相手のため」ではなく「自分の保身(嫌われたくないという蛮勇未満の弱さ)」であると自戒する。
AIには不可能な「魂の摩擦」を恐れず、まずは自分が誰よりも勇気ある行動者として振る舞う。その背中こそが、最強のテキストとなるのだから。
