今日、京セラフィロソフィの「有言実行でことにあたる」という項目を深く読み込んだ。
日本では古くから、能書きを垂れずに結果を出す「不言実行」こそが男の美徳とされてきた。黙々と役割を果たす姿は確かに潔く見える。しかし、稲盛和夫氏はあえて「有言実行」の重要性を説く。自ら宣言することで自分自身にプレッシャーをかけ、それを実行のエネルギーへと変換する。さらに、周囲に対して「このようにやっていく」と宣言するセレモニーそのものが、組織を動かす強い力になるという教えだ。
失敗を恐れる心が選んだ「沈黙」
これまでを振り返ると、私は「不言実行」のスタイルを好んできた。それは上場企業のように外部への説明責任がない非公開会社であるという環境も影響していたかもしれない。だが、内省を深めていくうちに、別の醜い動機が顔をのぞかせた。
私が言葉にしなかったのは、単に「黙って結果を出すのが格好良い」からではない。万が一、宣言して失敗した時に「あいつは口だけだった」と思われるのを極端に恐れていたからだ。つまり、不言実行とは美徳ではなく、自分のプライドを守るための「逃げ道」であり、失敗した時の保険だったのだ。
しかし、メンバーが増えてきた今の組織において、この沈黙は致命的な弊害を生んでいる。リーダーが何を考え、どこを目指しているのかを口にしなければ、メンバーは暗闇の中を歩かされているような不安を覚える。「何を考えているのかわからない」という不透明さは、組織のエンゲージメントを削ぎ落とす最大の要因となっていた。
「言葉」をエネルギーの触媒とする法則
今回の気づきを抽象化するならば、「宣言とは、意志を現実に縛り付ける儀式である」と言える。
言葉に発した瞬間、その思考は自分だけの所有物ではなくなり、社会的な責任を伴う「事実」へと変化し始める。有言実行とは、退路を断つことで、眠っていた潜在能力を強制的に引き出す「自己点火」のプロセスなのだ。リーダーにとっての言葉は、単なる情報の伝達手段ではない。それは、自分自身と組織を動かすための「燃料」そのものである。
「格好悪さ」を引き受ける覚悟
明日からは、完成された結果だけを見せるのではなく、道半ばの意志を積極的に言葉にしていこうと思う。
失敗して恥をかくかもしれないという恐怖を、成長のためのエネルギーとして受け入れる。メンバーに対して「私はこうしたい」「この山を登る」と明確に宣言する。たとえそれが未完成な言葉であっても、沈黙という無責任を貫くよりはるかに価値があるはずだ。
自分の弱さを「美徳」という言葉で包み隠すのはもうやめだ。言葉によって自分を追い込み、その言葉に命を吹き込んでいく。それが、今の規模の組織を率いる者が果たすべき、最低限の義務であると自分に誓う。
