今日も『京セラフィロソフィ』を読み進めた。テーマは、稲盛和夫氏の思想の中で最も有名なものの一つ、「人生・仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力」という方程式だ。
▶「人生・仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力」の方程式についてはこちらの記事でも詳しい。
この式において、「能力」と「熱意」は0から100までの加点方式だが、「考え方」だけはマイナス100からプラス100までの幅がある。どれほど才能があり、どれほど情熱的に取り組んでも、考え方が後ろ向きであったり反社会的であったりすれば、結果は大きなマイナスへと転落する。
稲盛氏は、能力がありながらも熱意を欠き、うだつの上がらないまま他人の批判に終始した親族の例を引き合いに出し、この方程式の正当性を説いている。
努力という「選ばれし者の才能」
この方程式を改めて自分に当てはめてみる。私の「能力」は中より少し上、「熱意」は現在トップ10%に入る自負がある。かつて「考え方」が凡庸だった時期は結果もそれなりだったが、学びを経て考え方が研ぎ澄まされるにつれ、人生の歯車が大きく加速している実感がある。
しかし、ここで一つの冷徹な事実に突き当たった。「努力(熱意)は遺伝で決まる」という科学的知見だ。
稲盛氏の説く「誰にも負けない努力」ができること自体が、実は遺伝的な「才能」の一種であるとしたらどうだろうか。この方程式を読んで「よし、自分も熱意を高めよう」と思える人間は、そもそも努力できるリソースを遺伝的に持っている者に限られるのではないか。
だとすれば、熱意も能力も「固定値(ギフト)」に近いものになってしまう。変えられるのは「考え方」だけだ。だが、世の中には「正しい考え方」を持ち、人間的に優れていながらも、どうしても「熱意(努力)」というエンジンを最大出力で回し続けられない人々が確実に存在する。
仕組みは「遺伝の格差」を埋めるためにある
「熱意ある者だけが報われる」という世界観は、強者の論理に過ぎない。
私の使命である「仕組み化」の真髄は、ここにあるのではないか。
「仕組みとは、非凡な情熱を持たない者が、凡庸な熱量のままで非凡な成果を出せるように設計されたインフラである」
比喩で言うならば、自力で山を登る体力(熱意)がない者でも、ロープウェイ(仕組み)があれば頂上の景色を見ることができる。そして、そのロープウェイを設計し、維持できるのは、たまたま「熱意の才能」を持って生まれた私の役目だ。
「普通の人」という言葉の裏側には、これまで「努力が続かない」というレッテルを貼られてきた人々が含まれている。彼らが人間として正しい「考え方」を持っているならば、その善性が報われる場を作る。それが私の目指す社会の姿だ。
努力できない人を排除しない「経営インフラ」の構築
私が現在進めている「次世代の経営インフラ」作りにおいて、「努力できること」を前提とした設計を排除する。
「熱意」という変数が低くても、正しい「考え方」に基づいた行動が自動的に成果に繋がるような、精緻な仕組みを構築しなければならない。そのために、以下の二点を自分に課す。
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仕組みのハードルを下げる: 高い熱意を必要とするステップを、AIやルーチンワークに分解・代替する。
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「考え方」の浸透に注力する: 唯一変えられる変数である「考え方(フィロソフィ)」を共有することに、私のトップ10%の熱意を注ぎ込む。
「努力できない人」を否定するのではなく、彼らがそのままで輝ける舞台を作る。この矛盾を解消する唯一の手段が「仕組み」であることを、私は今日、再認識した。
