今日、京セラフィロソフィの「常に明るく」という項目を読み進めた。「私には素晴らしい人生が開かれていると思い続けることが大切だ」という教えである。不平不満を言わず、困難も笑って受け流す気概を持て、とある。

正直に言えば、私は昔から「明るい性格」だと言われたことはない。むしろ物静かで無口だと評され、自分でもそう認めている。集団の中で空気を壊さない程度に振る舞うことはあっても、根っからの陽気なタイプではない。

そんな自分とこの項目の間に横たわるギャップについて思索していたとき、20代の頃にNLP(神経言語プログラミング)の講師から教わったある概念が蘇った。

それは「明るさとポジティブさは別物である」という真理だ。

明るいネガティブに気をつけろ

当時教わったマトリックス(4象限)の考え方は、今の私にとって非常に重要な羅針盤となっている。軸は2つ。「表現の明るさ(音量・テンション)」と「思考の質(ポジティブ・ネガティブ)」だ。

私が最も警戒すべき存在として記憶していたのが「明るいネガティブ」な人々である。

居酒屋で大声を張り上げ、笑いながら「俺ってバカだからさ!」「どうせ無理だって!」と自虐や不満を撒き散らす。彼らはその「明るさ(音量)」ゆえに場の空気を支配する力を持つが、発している内容は毒そのものだ。周囲を巻き込み、ネガティブな渦へと引きずり込む。

一方で、私は「静かなポジティブ」の象限にいる。 無理に声を張り上げる必要はない。京セラフィロソフィが説く「常に明るく」とは、物理的な声の大きさや躁的な振る舞いを指すのではなく、「心の視座が未来を向いているか」という一点にあるのだと再認識した。

この気づきは、ドリームマネジメントの開発者、マシュー・ケリーの言葉ともリンクする。

「リーダーの役割とは、メンバーに『今日よりも明日が良くなると信じさせること』のできる人物である」

この定義において、重要なのはリーダーのテンションの高さではない。揺るぎない確信の深さだ。

私のこの「静かなポジティブ」のルーツを辿ると、母の記憶に行き着く。

かつて実家の窓辺で猫が嘔吐したことがあった。私は汚されたことにショックを受けたが、母は即座に言った。「あんた、猫が部屋の中で吐かなくてよかったわねえ」。

事実は一つだが、解釈は無限だ。最悪の事態(室内での嘔吐)を免れたという「良き側面」に瞬時に光を当てる母の思考回路。これは遺伝、あるいは環境として私の中に確かに息づいている。

焚火になれ

これらを統合すると、一つの法則が見えてくる。

「心の周波数は、スピーカーの音量(明るさ)とは無関係である」

自分を無理に演じて「明るい人」になる必要はない。それはただの音量調整に過ぎないからだ。重要なのは、心のチューニング(周波数)を常に「未来の可能性」に合わせておくことだ。

例えるなら、「焚き火」と「花火」の違いに近い。

「明るいネガティブ」や表面的な明るさは、派手な音と光を放つ花火だ。一瞬目を引くが、後に煙とゴミを残すこともある。

対して私が目指す「静かなポジティブ」は、熾火(おきび)のような焚き火だ。音は静かだが、熱量は高く、長時間周囲を温め続け、決して消えることがない。リーダーに必要なのは、この持続可能な熱源である。

明日からの指針

明日からの行動指針をここに記す。

  1. 「明るいネガティブ」の遮断

    社内において、大声や勢いで場を支配しようとするが、内容が後ろ向きである言動には敏感になる。その空気に同調せず、静かに、しかし毅然とポジティブな視点を提示するバランサーとなる。

  2. 「明日への確信」の伝播

    リーダーとして、単に業務を回すだけでなく、「私たちの事業には素晴らしい未来がある」という確信を言葉と態度で示し続ける。私が母から受け継いだ「リフレーミング(肯定的な解釈)」の視点を、今度は私がメンバーに対して提示する。

  3. スタイルの受容

    「物静かであること」を引け目に感じない。静けさの中にこそ、深い確信は宿る。私は私のやり方で、組織の足元を照らす灯火となる。

投稿者 naokish

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