京セラフィロソフィの「仲間のために尽くす」という項目を読んだ。
最も尊い行為は、仏教で言う「利他行」であり、これはアメーバ経営を実践する上で必須の価値観であると説かれている。
アメーバ経営は、小集団による独立採算制度だ。部門間で売買が行われるため、「値決め」の際に対立が生じやすい。また、特定の部門だけが目標を達成し、他が苦戦するという状況も生まれる。
ここで重要なのは、アメーバ経営は基本的に「成果主義(歩合給)」ではないという点だ。部門の成績が個人の給与に直結しないのは、事業の浮き沈みによって従業員の生活が脅かされないようにするためだという。
だからこそ、金銭的なインセンティブではなく、「仲間のために」というベースの価値観がなければ、組織はただの足の引っ張り合いになってしまう。
四端(したん)の心
稲盛氏は人間の闘争本能を認めつつも、この項目では「性善説」に立っているように見える。
中国の思想家、孟子が説いた「四端(したん)の心」――たとえば、井戸に落ちそうな子供を見れば誰でも無意識に助けようとする善意の萌芽――が人間には備わっているという考え方だ。
私自身も性善説を信じているが、それを確信したのは、かつて幼い娘と買い物に行った時の出来事が強烈に残っているからだ。
当時、娘は1枚700円もする高級なクリスマスカードを「同じものが3枚欲しい」と泣いてねだった。私は「違う種類にしよう」と提案したが、彼女は譲らない。結局、無駄な出費だと思いながらも、渋々3枚買い与えた(計2100円)。
しかし、彼女はそのカードを私、妻、そして祖母に一枚ずつ配り始めたのだ。彼女は「みんなにお揃いのカードをあげる」ために、同じものが3枚欲しかったのだ。
私は自分の心の狭さを恥じた。私は2100円というコストに囚われ、彼女の純粋な利他心を見抜けなかった。さらに言えば、彼女は配り終えた後、自分の分がないことに気づいてオロオロしていた。「自分」という存在を忘れるほどの純粋な利他。人間には生まれつき、美しい心が備わっていると痛感した瞬間だった。
一方で、ビジネスの現場、特に「成果主義」に対しては、私は別の視点での違和感を抱いている。
多くの経営者は「頑張った分だけ報酬が増えるのが公平だ」と信じている。しかし、最新の研究では「努力できるかどうかも遺伝(才能)である」ということが示唆されている。
稲盛氏の方程式「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」における「熱意(努力)」までもが、実は「能力」の一部だとしたらどうだろう。
「頑張れない遺伝子」を持って生まれた人は、成果主義の下では永遠に報われないことになる。それは本当に公平なのだろうか。
努力の天才でなくとも成果を出せる
ここから導き出される私の哲学は以下の通りだ。
「仕組み化とは、努力の天才でなくとも成果を出せるようにする『優しさ』の実装である」
成果主義は、強者(努力できる才能を持つ者)の論理になりがちだ。
アメーバ経営が成果報酬を採らず、フィロソフィ(利他)を共有するのは、人間の弱さを包み込む知恵かもしれない。
しかし、私はさらに一歩踏み込んで考えたい。努力を精神論で片付けず、構造的な弱者への配慮としてシステムを組むべきだ。
あの時の娘が、自分のカードを確保する計算さえ忘れて他者に尽くそうとしたように、人間は本来優しい。しかし、ビジネスの現場では「能力」や「努力」の差が残酷な格差を生む。
だからこそ、私が推進する「仕組み化」は、単なる効率化ではない。「普通の人が、普通のままで、ちゃんと成果をあげて幸せになれる」ための土台作りなのだ。
Next Action(指針)
この気づきを元に、明日から以下を誓う。
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「努力不足」を個人の責任にしない
メンバーが成果を出せない時、それを「やる気がない」「努力が足りない」と精神論で断罪しない。努力に頼らなくても成果が出るフローになっているか、仕組みの欠陥を疑う。
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成果主義への疑義を持ち続ける
クライアントが安易に成果報酬型を導入しようとする際は、一度立ち止まらせる。「努力できることも才能である」という前提に立ち、バックオフィスを含めた全員が幸福になれる評価制度を設計・提案する。
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利他心を信じる
システムは冷徹に組むが、その根底には「人は本来、仲間のために尽くしたいと思っている」という性善説を置く。あの日、娘から受け取ったカードの意味を、経営の現場で体現していく。
