今日も京セラフィロソフィを読み進めた。テーマは「小善は大悪に似たり」。この言葉は、稲盛和夫氏が大切にされていた考え方だが、その中でIBMの「野鴨(のがも)の哲学」が引用されていた。

ある湖のほとりでおじいさんが野鴨に餌をやり続けた結果、鴨たちは自ら餌を獲る本能を忘れ、ついには自立できなくなってしまったという話だ。良かれと思って施した「餌」という小さな善行が、結果として鴨たちの生命力を奪い、死に追いやるという大きな悪に転じてしまった。

これは、人間関係や経営においても全く同じことが言える。目先の衝突を避け、相手に甘く接することは、一見「優しさ」に見えるが、その実、相手の成長機会を奪い、破滅へと導く行為に他ならない。

「タフエンジェル」の原点にあるもの

この話を読みながら、自分がコーチングの指針としている「タフエンジェル(厳しい天使)」という概念の重みを再確認した。実は、私自身がこの野鴨のエピソードをベースにこの哲学を構築したのだった。

クライアントである社長に対して、耳に心地よい言葉だけを並べ、現状を「なあなあ」で受け入れてしまう。それはコーチとして最も安易な道だが、同時に最も不誠実な裏切りでもある。言うべきことを言わず、課題を先送りにさせることは、おじいさんが鴨に餌を投げ続ける行為と何ら変わらない。

「天使」であり続けるためには、時には嫌われることを厭わず、相手の急所を突く「厳しさ」を持たなければならない。相手を窮地に追い込まないために、今、あえて厳しい言葉を投げかける。その葛藤こそが、真の支援者の証なのだと改めて痛感した。

優しさは「相手の未来」に向けられるべきである

今回の気づきを抽象化するならば、「真の善行とは、相手の依存心ではなく、自立心に対して投資すること」だと言える。

目先の感情的な満足を与えるのが「小善」であり、未来の生きる力を育むのが「大善」である。これを判別する基準はシンプルだ。その行為は、相手を「弱く」しているか、それとも「強く」しているか。

思考を停止させる「甘い薬」ではなく、完治させるための「鋭いメス」を持つこと。これを自分の思考のベースキャンプとして死守しなければならない。

「なあなあ」の排除を、社内文化の絶対条件とする

この「小善は大悪に似たり」の精神は、対クライアントだけでなく、社内のあらゆる意思決定においても徹底する必要がある。

仕事のクオリティ、人間関係、ルールへの遵守。これらを「まあいいか」と見過ごすことは、組織全体を野鴨の群れに変えてしまう行為だ。明日からは、自分自身の発言や社内のコミュニケーションにおいて、少しでも「なあなあ」の兆しが見えたら即座に介入する。

厳しいことを言うのはエネルギーがいるし、勇気もいる。しかし、その一瞬の厳しさを避けることは、仲間やクライアントに対する最大の不実であると、自分に言い聞かせたい。

投稿者 naokish

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です