今日の学びは、稲盛和夫氏の「公明正大に利益を追求する」というテーマだった。稲盛氏は、投機や不正によって暴利を貪ることを厳しく戒めている。

特に印象的だったのは、バブル期の教訓だ。当時、多くの企業が本業をそっちのけにして土地や株の投機に走り、一時的な含み益に酔いしれた。しかし、バブルが弾けた途端にそれらは霧散し、経営の根幹を揺るがす事態となった。稲盛氏はそのような「楽をして儲ける」話には一切耳を貸さず、あくまで本業で額に汗して得られる適正な利益こそが、企業の真の力になると説いている。

また、これに関連して松下幸之助氏の「破壊的な安売りは悪である」という考え方も対比させた。他業界からの資本力を背景に、市場を独占するために赤字覚悟の低価格で参入することは、業界全体の健全性を損なうという主張だ。

現代の競争戦略と「公平性」の境界線

松下氏の「他事業の利益を背景に別事業で安値攻勢をかけるのは不当だ」という考え方に対し、私は正直なところ、現代のビジネス感覚からすると若干の違和感を覚えた。

今の時代、Googleが広告ビジネスで得た莫大な利益をAI開発に投じ、ユーザーに安価(あるいは無料)で高度なサービスを提供するのは、極めて一般的な競争戦略だ。これを「アンフェア」と切り捨てるのは、あまりに保守的すぎるのではないか。むしろ、持っているリソースを最大限に活用して市場を奪いに行くのは、戦略として正攻法であると感じる自分もいる。

しかし、その一方で、「利益」という言葉が現場に与えるアレルギー反応についても考えさせられた。特に弊社が関わる病院や介護といった「人の命やケア」を扱う現場では、経営者が「利益を追求する」と口にした瞬間、スタッフの心が離れてしまうという現実がある。この「経営の論理」と「現場の献身」の乖離をどう埋めるかが、リーダーとしての大きな課題であると痛感した。

利益とは、高みを目指すための「酸素」である

今日、一つの象徴的な比喩に出会った。

「利益とは、人間にとっての酸素のようなものだ」

この表現は、今の私のモヤモヤを晴らす素晴らしい解釈を与えてくれた。

エベレストのような極限の高みを目指すのであれば、大量の酸素ボンベ(利益)が必要になる。酸素がなければ、志半ばで命を落とす。一方で、近所の高尾山に登る程度であれば、特別な備えとしての酸素はそれほど必要ない。

つまり、利益を上げること自体が目的なのではなく、「自分たちがどこまでの高みを目指そうとしているのか」という志の大きさが、必要な利益の量を決定するのだ。この比喩を使えば、利益追求を「強欲」としてではなく、「使命を果たすための必須条件」として定義し直すことができる。

志と連動した「必要利益」を語り続ける

明日からは、ただ「利益を出そう」と伝えるのをやめる。

まずは、私たちが登ろうとしている「山の高さ」を明確に示す。そして、その高みに到達し、そこで価値を提供し続けるためには、これだけの「酸素(利益)」が必要なのだという順序で語るようにする。

公明正大であることは大前提だ。その上で、戦略的な低価格や投資を恐れず、同時に現場のスタッフが「自分たちの活動を支える大切な資源」として利益を肯定的に捉えられるよう、この酸素の比喩を使いこなし、対話を重ねていく。

投稿者 naokish

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