『盛和塾』機関誌98号を読み進め、二人のリーダーの足跡、そして稲盛塾長の凄まじい言葉に触れた。
ハワイでの開塾に奔走した大熊ジョンソン氏は、日系人が多いとはいえ英語圏という壁がある中で、80人近い経営者を集めるために想像を絶する努力を重ねていた。稲盛和夫という世界的なカリスマの名前があってなお、足を使って一人ひとりに熱を伝えなければ、塾は形を成さない。その「集める」という行為そのものに込められた圧倒的な熱量がレポートから伝わってきた。
一方、新日本工業の千田社長は、非同族での継承という難しい立ち位置から、フィロソフィを組織の隅々まで行き渡らせるための「徹底」を継続されていた。
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5つの実践: 例会参加、12ヶ条の実践、フィロソフィ導入、ベクトルの合致、心と心の対話。
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具体策: 全社員を10班に分けた勉強会、3ヶ月ごとの部門長面談。
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可視化: 社員証の裏への目標明記、タイムカード提出時のフィロソフィ5項目記述、毎月の感想文提出、さらには社内ニュースでの優秀者紹介。
これほどの手を尽くしてもなお、前向きな社員は3割で、7割は拒否反応を示しているという。この現実に対し、稲盛塾長は、フィロソフィを納得していない専務(ナンバー2)について、「(ナンバー2であることを)考え直さなければならない」と、組織の純度を守るための冷徹な判断を説いた。さらに、リーマンショックの赤字を背景に、「恐ろしいほどの合理化」を成し遂げ、受注が減っても利益を出す筋肉質な経営への転換を厳命していた。
「高収益」という麻薬が、私の経営基準を麻痺させていた
読み終えて、自分の心の「弛み」が白日の下にさらされた気分だ。
第一に、大熊氏の熱量に比べて、自分はどうか。セミナーや事業への集客において、私は「自分のコンテンツは良いものだ」という奢りに寄りかかってはいなかったか。稲盛塾長の名前ですら、あそこまでの執念を要するのだ。私の努力など、まだ入り口にも立っていない。
第二に、千田社長の「仕組み」の解像度だ。社員証の裏、タイムカード、感想文。ここまでやるからこそ、ようやく「3割」が動き出す。私はどこかで「言えば伝わる」と社員を信じるフリをして、徹底することから逃げていただけではないか。
そして最も震えたのは、稲盛塾長の「恐ろしいほどの合理化」という言葉だ。製造業と違い、自分のビジネスは利益率が高い。しかし、それは経営の腕が良いからではなく、単なる業態の特性に過ぎない。その「浮いた利益」に甘え、広告費をざっくりと使い、経費の精査を怠っている。この「基準の低さ」こそが、有事の際に会社を滅ぼす真犯人だと気づかされた。
経営とは「純度」と「密度」の極限作業である
今回の学びを、自分を律するための三つの法則として言語化する。
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「看板」はアクセルではなく、責任の重さである
優れたメソッドや名前(ブランド)を扱うときほど、リーダーには個人の「熱量」が求められる。仕組みに頼り切った勧誘や集客は、いずれ魂が抜けて形骸化する。
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「仕組み」は毛細血管まで通して初めて機能する
千田社長の実践が示す通り、教育とは「一度の感動」ではなく「毎日の習慣(タイムカードやIDカード)」への落とし込みである。7割の拒否反応を前提とし、それでもやり抜く仕組みの「密度」が組織の成否を分ける。
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「10%の利益」は最低限のモラルである
粗利が高いからといって、経費に対して雑になることは、経営者としての死を意味する。受注が半分になっても生き残れる「恐ろしいほどの合理化」を平時に行えるか。高収益業種だからこそ、製造業以上の厳しさで1円を追わなければならない。
「ざっくり」を捨て、顕微鏡で経営を見る
今日から、これまでの「甘い自分」を脱ぎ捨てる。
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集客への情熱と執念を徹底する 「良いものなら人は集まる」という傲慢さを捨て、大隈氏がハワイで見せたような、一人ひとりの心に火を灯す泥臭い活動に立ち戻る。自分の熱量が伝播して初めて、事業は動き出す。
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広告費・経費の「全件再審」 「この程度なら」と見逃してきた経費、効果測定の甘い広告費を全て洗い出す。来週中に全項目のリストアップを行い、稲盛塾長が説いた「恐ろしいほどの合理化」という視点で、1円単位までその必要性を問い直す。
高収益に守られた「温室育ちの経営」は今日で終わりだ。
