盛和塾の機関誌98号、山下氏(日本トレンズフードサービス)の体験発表を読んだ。シリコンバレーで麺類製造販売を行い、2009年時点で売上2億円の規模から、2020年に200億円という100倍の成長を目標に掲げた内容だ。

山下氏はリンガーハットでの勤務を経て、アメリカ進出の失敗・撤退という局面に立ち会いながらも、自らその事業を引き継ぐ形で独立。その後20年間、堅実に、かつ楽観的に経営を続けてきた。

この発表において特筆すべきは、多くの経営者が経験する「倒産危機」や「血を吐くような苦境」からの逆転劇ではなく、順調に成長し、儲かっているタイミングで稲盛和夫塾長のフィロソフィに出会っている点だ。これに対し塾長は、「あきれるほどの楽天さ」を認めつつも、「石橋を叩いて渡る慎重さ」の欠如を鋭く指摘し、命を懸けるに値する「大義名分」の重要性を説いている。

なぜ「苦労」が成功の前提とされるのか

今回の発表を読み、世間一般や一部の経営者が口にする「苦労は買ってでもしろ」という価値観に改めて強い違和感を覚えた。かつて私自身も、先輩経営者から「君はまだ苦労が足りない」と評されたことがある。しかし、苦労をすること自体が目的ではないはずだ。

山下氏の歩みには、悲壮なドラマが少ない。塾長自身もそこに驚きを示しているが、私はこれこそがある種の理想形ではないかと感じた。世に言う「波乱万丈」な人生とは、結局のところ、本人の心のあり方や認識の誤りが引き起こした「摩擦」の集積ではないか。

心が十分に高まっており、原理原則に基づいた判断ができていれば、わざわざ高い授業料を払って崖から落ちるような経験をする必要はない。稲盛塾長の歩みを見ても、凄まじい努力はあっても、自業自得による破滅的な失敗はない。つまり、「無知ゆえの苦労」を美徳とする必要はどこにもないのだ。

楽観という「エンジン」と、大義という「舵」

経営において「楽観」は強力な推進力になる。山下氏のように、200億円という果てしない目標を疑いもなく掲げられるのは一つの才能だ。しかし、その推進力が暴走しないためには、塾長が指摘するように「石橋を叩いて渡る」微細な注意深さと、何のために命を懸けるのかという「大義名分」が不可欠である。

今の自分に置き換えると、これまでの歩みが「苦労」と感じられないのは、自分が人生の波を楽しんでいる証拠かもしれない。しかし、それを単なる「運の良さ」や「甘さ」で終わらせないためには、客観的に見て盤石と言えるだけの「論理的な裏付け(石橋を叩く行為)」を徹底する必要がある。

また、大義名分は自分一人の高揚感で終わらせてはならない。関わる人々やクライアントが、一目でその意義を理解し、共鳴できるレベルまで研ぎ澄まさなければ、それは真の「大義」とは呼べない。

ドリームの再定義と具体化

設立時に掲げた「仕組みによって起業家精神を呼び覚まし、世界を持続成長させる」というドリームを、より手触り感のある言葉へと進化させる。

今のままでは抽象度が高く、共に働くメンバーが日々の業務との結びつきを感じにくい、あるいはクライアントが「なぜこの会社を信頼すべきか」を直感的に判断しづらい懸念がある。

明日から、以下の視点で自社のドリームを書き直す。

  • 現場の人間が「自分の仕事だ」と自分事化できる具体性。

  • クライアントが「この思想があるからこそ任せたい」と思える信頼の根拠。

波乱万丈なドラマを必要としない、高い精神性に裏打ちされた「必然の成功」を目指す。そのための土台として、今一度、我が社の存在意義を再定義し、自分自身への誓いとする。

投稿者 naokish

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