今日、京セラフィロソフィの「知識より体得を重視する」という項目を読み進めた。「知っている」ことと「できる」ことは全く別物であり、知識偏重の姿勢を戒める内容だ。

特に稲盛和夫氏は、経営者に対し「知識だけの専門家の話を聞いてはいけない」と強く警告している。コンサルタントに頼むのであれば、自ら事業を行い、泥臭い実践を経てきた人物を選ぶべきだという主張だ。いわゆる「知行合一」の精神であり、実践を通して初めて知識は知恵へと昇華されるという教えである。

実践者とリサーチャー、それぞれの落とし穴

稲盛氏の言葉は、経営のアドバイスを生業とする私にとって、肝に銘ずべき戒めである。しかし同時に、この主張を鵜呑みにすることへの微かな抵抗感も覚えた。

私はコンサルタントには「実践者」と「リサーチャー」の二種類が存在すると定義している。「実践者」は稲盛氏が指すような、自らの経験則を語るタイプだ。一方、「リサーチャー」は、ピーター・ドラッガーやジム・コリンズのように、膨大な事例を調査・分析し、法則を導き出すタイプである。

稲盛氏の論理で言えば、大企業を経営した経験のないドラッカーやコリンズは「聞いてはいけない専門家」に分類されかねない。しかし、現実には多くの優れた経営者が彼らの理論をバイブルとし、成果を上げている。つまり、必ずしも「自身の実践経験がない=無価値」とは断定できないのだ。

逆に、「実践者」であれば無条件に正しいわけでもない。自分の成功体験を体系化できず、「俺はこうやって成功した」という武勇伝しか語れないコンサルタントの話は危険だ。それは、その人の性格や当時の時代背景という特殊要因が生んだ「偶然の産物」であり、クライアントに再現性をもたらさないからだ。

ここで私は一つの結論に至った。最強のアドバイザーとは、「体系化能力を持つ実践者」あるいは「実践によって理論を証明したリサーチャー」であり、この二つの立場が融合した地点にこそ、真の価値があるということだ。

私自身のキャリアを振り返れば、最初は海外のマーケティング情報を日本に輸入する「リサーチャー」としてスタートした。しかし、単に情報を横流しするだけでは薄っぺらな知識に過ぎない。自ら教材を作り、販売し、顧客と対峙するという「実践」を経て初めて、その理論が血肉となり、言葉に重みと自信が宿ったのである。

現場検証が、理論に命を吹き込む

抽象的な理論を現実に適用する際、そこには必ず「解像度の壁」が存在する。これをマーケティングファネルに例えて考えたい。

「リード数が〇〇件あれば、〇%の成約率で利益が出る。数字を把握しABテストで改善すれば必ず儲かる」

これは理論(地図)としては正しい。しかし、現場(地形)はもっと複雑だ。「改善すべき数字」が見えても、具体的にどうクリエイティブを変えるのか、日常業務の忙殺の中でどの施策を優先順位のトップに置くのか、テスト期間をどう設定するのか。これらは実際に泥にまみれて戦った者にしか分からない「手触り感」のある知恵だ。

理論家(リサーチャー)からスタートしようと、実務家(実践者)からスタートしようと、目指すべきは「理論と実践の往復運動」である。

  • 実践なき理論は、具体性を欠いた空論になる。

  • 体系(理論)なき実践は、再現性のない一代限りの芸になる。

現在、私が「仕組み化」を提唱できているのは、自分自身のコーチングや講座運営を徹底的に仕組み化し、その有効性を肌で感じているからに他ならない。

最初の被験者は常に「自分」であれ

私は今後も、アドバイザーとして以下の誓いを守り続ける。

  1. 未検証の理論は語らない

    リサーチで得た知識は、まず自分のビジネスという実験場で試し、その「痛み」と「喜び」を味わった後にのみ、クライアントへ提供する。

  2. 成功体験を一般化する努力を怠らない

    「たまたま上手くいった」で終わらせず、なぜ上手くいったのかを論理的に分解し、他者が使える「型」へと昇華させる。

私は、実践するリサーチャーであり、体系化する実践者であり続ける。それが、顧客に対する最大の誠実さだ。

投稿者 naokish

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