今日、京セラフィロソフィの「バランスの取れた人間性を備える」という項目を読み進めた。稲盛和夫氏は、企業活動はすべて理屈で説明がつく合理的なものであるべきだと説く一方で、仕事の場を離れればロマンチストであり、人間味あふれる円満な性格を兼ね備えることが理想であると述べている。
稲盛氏自身も理系出身でありながら、学生時代にいわゆる「やんちゃな友人」との付き合いを通じて、理屈だけでは割り切れない人間臭さを学んだという。経営には、一分の隙もない論理性と、人を包み込むような豊かさの両輪が必要なのだ。
仕組みが冷める瞬間の正体
この教えを自分に照らし合わせたとき、驚くほど腑に落ちる感覚があった。私自身、数学科出身であり、物事を論理的に解釈する癖がある。かつて「社長になるには営業力が必要だ」という極めて合理的な判断基準から営業の世界に飛び込んだが、そこは数学とは真逆の、感情と機微が支配する世界だった。
周囲の経営者を見渡すと、エンジニア気質の「職人派社長」が仕組み化に取り組む際、共通の壁にぶつかっていることに気づく。彼らの作るマニュアルやルールは完璧だ。しかし、そこに「愛」や「情緒」が欠落しているため、職場は冷え切り、社員は定着しない。
面白いことに、博愛主義の社長が合理性に目覚める例は少ないが、合理的な社長が「愛情」というラストピースを手に入れたとき、会社は爆発的な進化を遂げる。私自身のルーツを辿れば、父から受け継いだ「合理性」と、記憶の中の祖父から引き継いだであろう「徳のある人間性」が、自分の中でせめぎ合い、混ざり合っている。今の自分があるのは、この相反する二つの要素を同時に持てた幸運のおかげだと言わざるを得ない。
経営とは「無機質な骨組み」に「有機的な血」を通わす作業である
仕組み(合理性)は、あくまで会社の「骨格」に過ぎない。骨格がしっかりしていなければ体は保てないが、骨だけでは体温は宿らない。そこに人間性という「血」を巡らせて初めて、組織という生命体は動き出すのだ。
合理的な思考は、目的地に最短距離で到達するための武器になる。しかし、その道中に人を惹きつけ、共に歩みたいと思わせるのは、その人間の持つロマンや体温である。どちらか一方が突出するのではなく、高い次元で両者が共存している状態こそが、目指すべき「バランスの取れた人間性」の正体だ。
精緻なロジックを、温かな言葉で包み込む
明日から、自分が発する指示や作成するルールを読み直す際、そこに「冷たさ」がないかを確認する。合理的な正しさを振りかざすのではなく、その仕組みが誰の幸せに繋がっているのか、ロマンを語ることを忘れない。
特に「仕組み化」を進める局面こそ、意識的に人間臭いコミュニケーションを差し込んでいく。冷徹な頭脳で戦略を練り、燃えるような情熱と温かな心で人に接する。この両極端を併せ持つ「矛盾の統合」こそが、自分の魂を成長させる鍵となるだろう。
