盛和塾機関誌97号、ノア・インドア・ステージの大西社長による経営問答を読んだ。売上23億円というテニススクール業界での成功を収め、塾の教えに基づき仕組み化も進めている企業。しかし、現場のコーチたちが支配人(責任職)への昇格を望まないという壁にぶつかっていた。

これに対する稲盛氏の指摘は、鋭くも本質的だった。仕組みは整っているはずなのに問題が解消されないのは、大西氏自身が社外活動(JC等)に時間を取られ、社員と魂をぶつけ合う教育の時間を疎かにしているのではないか、というものだ。「人は誰でも向上したいものだ」という前提に立ち、社員の意欲を疑う前に自らの教育の姿勢を疑え、という厳しい叱咤であった。

仕組みの完成度と「心の火」の相関関係

私自身、この問答を読みながら「これほど仕組み化が進んでいるのになぜ」と違和感を抱いた。しかし、その答えはシンプルだった。どんなに立派な「箱(仕組み)」を作っても、そこに「なぜこの役割を担うのか」という意義を流し込む人間がいなければ、責任はただの重荷にしか見えないのだ。

私が経営問答を読んだとき、自分なりの答えとしては、支配人だけが責任を負う構造自体が不自然だと考えた。コーチの段階から満足度やリピート率といった「手触り感のある数字」に責任を持たせるべきだ。支配人になって急に重圧がかかるのではなく、現場の延長線上に責任の拡大があるというグラデーションが必要なのだ。結局、仕組みが動かない原因は、設計図の不備ではなく、設計者の「現場への不在」にあることが多い。

起業家精神は「対話」という土壌からしか芽生えない

マイケル・E・ガーバーが説く「起業家精神」に火をつけるには、マニュアルを渡すだけでは不十分だ。彼らが何のために生き、この仕事を通じてどのような人生を描きたいのか。その「人生計画」にまで踏み込んだ対話があって初めて、職人は起業家へと脱皮する。

「会社は人生の学校である」という言葉を単なるスローガンにしてはいけない。仕事のスキルを教える場である以上に、人間としての生き方を磨く場でなければならない。トップが現場に足を運び、自らの情熱を伝播させることを怠れば、組織はただの「作業所の集合体」に成り下がってしまう。

自分自身の「現場」と「対話」の再定義

現在取り組んでいる「仕組み経営」の構築において、クライアントに対し「仕組みさえ作れば人は動く」という誤解を与えていないか自問自答する必要がある。仕組みはあくまで「火を絶やさないための炉」であり、最初に火を灯し、薪をくべ続けるのは経営者の「教育」という情熱だ。

明日からは、仕組みの設計と並行して、それを運用するリーダーたちの「人生の目的」を深掘りするプロセスを重視する。社員の向上心を信じ抜き、彼らが「責任を負う喜び」を感じられるまで、逃げずに魂の対話を重ねる姿勢を、私自身がまず体現していく。

投稿者 naokish

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です