今日読み進めた『フィロソフィー』において、最も深く突き刺さったのは「自らを追い込む」という姿勢だ。困難から逃げず、自分を極限まで追い込んだ先に到達する世界。それは穏やかな日常の延長線上にはない。「狂う」という字をあてて表現される、常軌を逸した没頭の状態――「狂(きょう)」の世界である。
稲盛和夫氏は、余裕の中で生まれるものは単なる「思いつき」に過ぎないと言い切る。持てる力をすべて出し尽くし、「ここまでやったのだから」と人事を尽くして天命を待つ。その安心立命の境地に至って初めて、真の閃きが降りてくるのだ。
「余裕」という甘えが思考を鈍らせていた
「アイデアを生むには、ある程度の余裕が必要だ」――。これまで、私はどこかでそう思い込もうとしていた。しかし、それは本質から目を背けるための言い訳に過ぎなかった。
かつて理系として数学に没頭していた頃、私は確かに「狂」の状態にいた。一つの難問に対して、寝食を忘れて考えに考え抜く。その極限の思考の果てに、一筋の道筋が見える瞬間。あの中毒的な快感こそが、今の自分に欠けているものではないか。
最近の自分はどうだ。毎月の高い目標を前に、達成が危うくなれば「目標が高すぎた」と理由をつけて下方修正し、次月に持ち越す。それは自分を追い込むことから逃げ、「狂」の世界へ足を踏み入れることを拒絶している証拠だ。
追い込みとは「精神の耐久力を上げる登山」である
自らを追い込むことは、自分を痛めつけることではない。それは思考を「フロー状態」へと強制的に引き上げるための儀式だ。登山において、限界まで体を追い込むことでしか耐久力が向上しないのと同様に、仕事における思考の純度も、極限状態でのみ研ぎ澄まされる。
また、本当の「幸せ」とは何か。それは、自分が「やろう」と決めたことを、自分を追い込んででもやり遂げた瞬間にのみ訪れる。夕方に感じるあの深い充足感は、楽をした一日からは決して生まれない。
「狂」の感覚を取り戻し、やり切る幸せを掴む
明日からは、目標未達に対する「慣れ」を徹底的に排除する。
まずは、一日の始まりに決めたタスクを、何が何でも、狂ったように突き詰めてやり切る。登山のトレーニングのように、日々の負荷を厭わず、精神の耐久力を高めていく。
夕方に「今日もやり切った」と静かな確信を持てるまで、思考の手を緩めない。その先に待つ「安心立命」の境地を目指し、自分を極限まで追い込み続ける。
