今日の京セラフィロソフィのテーマは「土俵の真ん中で相撲を取る」。
これは単に「余裕を持って取り組む」という生易しい教えではない。物理的には土俵の真ん中という安全圏にいながら、精神的には「土俵際」という絶体絶命の危機感を持って全力を出し切れ、という教えだ。
稲盛和夫氏は、月末になって資金繰りに奔走する経営者を例に挙げ、それを「仕事をした気になっている」と厳しく戒めている。本来、資金繰りも不況への対策も、余裕がある時期(土俵の真ん中)にこそ、必死になって手を打っておくべきことなのだ。
「準備が良い」だけで満足していた自分
この項目を読んだ当初、自分は「これはできている」と高を括っていた。
夏休みの宿題をギリギリにやるタイプではないし、セミナーや講演会の準備もかなり早い段階から着手する。準備不足でパフォーマンスが落ちる怖さを知っているからだ。また、世の中の「忙しい」と嘆く経営者の多くは、ビジョンがないために先が見通せず、結果として後手後手に回っているという構造もよく理解している。
しかし、深く内省するうちに、ある「甘さ」に気づいた。
私は確かに「土俵の真ん中」には立っている。期限に追われてアタフタすることは少ない。だが、そこで「相撲を取っているか(=全力で闘っているか)」と問われると、言葉に詰まる自分がいた。
私は単に、土俵の真ん中で「準備運動」をしていただけではないか。余裕があることをいいことに、新しい商品を生み出したり、極限の集中力で仕事の質を高めたりといった「攻め」の姿勢が欠けていた。余裕が、いつの間にか「停滞」の言い訳になっていたのだ。
「早め」は守り、「真ん中で闘う」こそが攻め
期限より早く着手することは、単なるリスクヘッジ(守り)に過ぎない。
「土俵の真ん中で相撲を取る」の本質は、余裕というリソースをすべて「創造」と「革新」という攻めに転換することにある。
例えるなら、敵が攻めてこない平和な時期にこそ、血の滲むような軍事訓練を行い、武器を研磨し続けるようなものだ。多くの人は平和だと休んでしまうが、真の武人はそこで差をつける。
「ビジョンがあるから暇になる(余裕ができる)」のではない。「ビジョンがあるから、余裕のある時間を未来への投資という『激務』に充てられる」のだ。
余った時間で「もう一手」を打つ
明日からは、「早く終わった」「準備ができた」という安堵を禁句にする。
スケジュール通りに進んで余裕が生まれた時こそが、本当の勝負の始まりだ。「土俵際ならどうするか?」と自問し、その余ったリソースで資料のクオリティを限界まで上げる、あるいは全く新しい企画の種をまく。
土俵の真ん中を「休憩所」ではなく、最も激しい「稽古場」へと変えていく。
